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インタビュー/2011年4月号

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当たり前のことを淡々と積み重ねてきた-ベッカライ ブロートハイム明石克彦氏に聞く
 日本のリテールベーカリーのひとつの理想形とも言われ、全国から多くの同業者が視察に訪れる「べカライ ブロートハイム」。オーナーの明石克彦氏は、1987年のオープン以来、「おいしいパン」を作って、客にその真価を理解してもらうために、心血を注いできた。明石氏は、「『こだわり』という言葉が大嫌いなんです」という。「こだわり」という言葉で表される多くの事柄は、明石氏にとっては、「当たり前のこと」なのだ。つまり、「ここにこだわりました」とまくしたてるのではなく、何も言わずにすべてにこだわる、ということなのだ。



現場で感じるものを大切にしてきた
東急田園都市線・桜新町駅から徒歩5分の通り沿いにある店舗は、存在感があり、人目を引く
――最初に、明石さんがパンの世界に入ったきっかけを教えていただけますか?
明石 僕が最初に就職したのは、レストランの企画室でした。仕事の内容は、例えば、テーブルのレイアウトをこう変えたらサービスしやすいんじゃないかとか、レストランの料理を素直に消費者として食べてみて、この方がいいんじゃないか、などと考えることでした。図面なんかも描いてやっているうちに、現場を見ないとどうも実感がなくて、現場でサービスをしたり、調理を手伝ったりもしていました。もともと、料理することは好きだったのは確かです。僕は、現場主義で、現場で感じるものが、大事だと思っていたので、気がついたら、調理場でフライパンを振っていることが多くなって、いつの間にか、調理場のチーフになっていました。
――パンを作るようになったきっかけはあったのですか?
明石 レストランで、サービスや厨房をやっているうちに、料理はおいしそうなのだけれど、パンは仕入れのロールパンで、これはちょっと料理がかわいそうだなと思っていました。自分が料理を作る段になって、自分の料理にはおいしいパンを付けたいと思いました。そのレストランには外人のコックがいて、自分でパンを作っていました。それを見ているうちに手伝うようになったんです。そしたら、パンがどんどん面白くなってきました。
 でも、パンの前に洋菓子をやりましたね。スポンジを焼いたり、フルーツケーキを作ったり、ガス窯でバウムクーヘンを焼いたりと、一通りやらせてもらっていました。クッキーやサブレなんかも作りました。
 あるとき、そのレストランが、ベーカリーを出すことになって、僕が、その立ち上げの担当者になったんです。パン職人が来ることになっていたのですが、直前になって来られなくなってしまい、僕が全部作ることになってしまいました。それで、紀伊國屋書店で「パンの研究」(越後和義著、阿久津正蔵監修)を買ってきて、その通りに作りました。強力粉や薄力粉、準強力粉の違いもよくわからない状態でしたが、準強力粉がなくて、強力粉と薄力粉を混ぜて使ったりしていました。グルテンと書いてある数字が強力粉、薄力粉、準強力粉とで違ったので、準強力粉のグルテンの数字になるように強力粉や薄力粉の比率を割り出していました。でも、そうしたらすごくおいしいパンができたんですよ。
 しかし、まだ半分以上素人だったので、今日仕込んだ生地を冷凍庫にストックしておいて明日焼いたらどうだろうなどと考え、実際にやってみたら、当然ろくでもないパンになってしまったり、試行錯誤を繰り返していました。でも、それなりにはおいしいパンはできていました。今考えると配合もよかったのだと思います。



ドイツパンがメインで、フランスのハード系も
ベッカライブロートハイムの明石克彦オーナーシェフ。同ベーカリーは、消費者からの支持だけではなく、同業者からも支持を集め、日本中から多くの人が視察に訪れる
明石さんが子供の頃好きだったフランスパンは、自身の店の看板商品になり、多くの支持者を集めている
「ベルリーナラントブロート」(1個1200円、ハーフカット610円)は、ブロートハイムの看板商品のひとつだ
日本一の菓子パンを作ろうと始めた「クリームパン」(140円)や「チョココルネ」(150円)は今も人気商品だ
――ハード系はどうでしたか?
明石 最初はフランスパンは作っていませんでした。でも、フランスパンを自分で焼いて食べたいという願望が子供の頃からあったんです。父がフランスパンが好きで、小さい頃から食べさせられていました。昭和34年から36年の頃の話で、ふわふわのフランスパンだったんですが、おいしいと思いました。また、母が都心に出かけたときに、ホテルオークラのフランスパンをよく買ってきて、食べていました。こっちは少し硬くてしっかりとしたフランスパンでした。
 フランスパンを焼きたくて、本を見ながらいろいろとやってみたんですが、まずモルトなんてわからなかったし、ビタミンCもドライイーストもわからないといった具合で、どうやってもうまくできませんでした。それで、当時使っていた粉のメーカーだった日清製粉さんに電話したら、技術者の人が来てくれて、フランスパン専用粉とモルトとビタミンCを持ってきて、作り方を教えてくれたんです。それで、フランスパンの作り方がある程度はわかった気がしました。パンを作ることを、自分の一生の仕事にしたいと思ったのは、そのときでした。
――自分の店を持ちたいと思ったということですね。
明石 そうですね。そのレストランのベーカリーでその後1年働いたんですが、その間、「どうしてもパン屋になりたいので、辞めさせてください」と半年がかりで社長を口説きました。そして、25歳の時にそのレストランを辞めました。その後半年ぐらい、おいしいといわれる全国のベーカリーを見に行きました。手作りのパンの仕事をしたいと思っていたんですが、その前に大手がどうやってパンを作っているのかが知りたくて、目黒のパスコで3カ月間アルバイトをしました。手分割、手まるめのラインでしたね。とても面白いと思いました。その後、「ハンスローゼン」というベーカリーに入ったんです。その店は、バタール、クロワッサン、バターロールを買って食べたらおいしくて、募集もしていたんです。26歳のときでした。そこで8年働かせて頂きました。そして、1987年11月20日に念願だった自分の店を出しました。
――どんなお店だったのですか?
明石 僕が当時理想としていたのは、神戸の「芦屋レーベンス」というドイツパンがメインのベーカリーでした。シンプルな中におしゃれな感覚があって、とても好きでした。それと、当時世の中は「ブーランジュリー」しかなく、自分がやるんだったら、「ベッカライ」で、ドイツパンがメインで、フランスのハード系もたくさんやっていきたい、という願望がありました。当時JPBというホテルベーカリーの団体の青年部の幹事をやっていて、JPBの会長に「あんぱんはやらないのか」といわれました。「本当は菓子パンは大好きなのですが、自分がやろうとしているベーカリーの趣旨には合わないのでやりません」といったら、「日本一のあんぱんを作ればいいじゃないか」といわれて「それもそうだな」と思ったんです。
 その時の品揃えは、食パンとハードトースト、フランスパンを軸にして、菓子パンとデニッシュ、クロワッサンで始めました。実はドイツパンは、オープンから1年後にライサワーを起こしてドイツパンの品揃えを強化するまでは、1種類でした。



当たり前のことが評価される時代に
1987年のオープン時からずっと対面で販売してきた
――ご自分の店を運営して行くに当たってのポリシーは何ですか?
明石 一言で言えば、当たり前のことを限りなく積み重ねていくということです。例えばベンチタイムをちゃんと取るとか、発酵時間をきちんと取るとか、そんなようなことです。ベンチタイムを取らなくてもパンの形はちゃんとできますが、おいしいパンはできません。それと、きちんと発酵をとるには、発酵室をきちんと使わないとだめだと思います。僕はハンスローゼンで仕事をしているときに、休みを取っていろいろな講習会に行っていたんですが、講習会場には発酵庫が完備されているんです。でも、ベーカリーの現場には、発酵室がないことが多いじゃないすでか。ハンスローゼンでは、結局発酵庫を自分で作りました。フレームでアングルを組んで、下にヒーター入れて蒸気が出るようにしました。それを使った日からパンが変わりましたね。
 それで、独立したときも最初は一時発酵室は自分で作りました。ずーっと生地を見ているのもいいですが、だったらちょっと機械の力を借りて、その間他のことに頭を回して、他の仕事をした方がいいと思います。一時発酵をしっかりとって、ホイロも必要な温度と湿度で十分時間をとってあげると、パンはどうやったっておいしくなるんですよね。
――発酵の他に「当たり前のこと」はありますか?
明石 うちはオープン時からずっと対面で販売しています。お客さんと話ができて、お客さんから情報を得られるというメリットもありますが、僕は別の意味で本来対面販売が当たり前だと思うんです。セルフのベーカリーが認められているのは、日本とアジアの数カ国ぐらいのもので、多くの国では衛生上の問題から裸のパンは対面以外は認められていません。パンの製法にしても、こういう風にしないとおいしいものができないから、こういう風にして、この材料を使わないとおいしいものができないから、この材料を使う、という、ただそれだけのことなんですよ。粉をふるってから使うのも、僕にしたら当たり前のことなんです。そうすれば水和が早くて、ミキシング時間が短くて済みますからね。でも、逆に言うと、当たり前のことを当たり前にやることがすごいことだといわれる時代になってしまったということなんでしょうね。

基本の部分のパンは売上が落ちない
サンジェルマンの「エクセルブラン」に触発されて開発したという「ハードトースト」(1斤360円)は、まさに「基本のパン」だ
ショーケースには「ポテトフランス」(240円)や「カイザーゼンメル」(85円)、「アンチョビと野菜のフォカッチャ」(190円)など、様々なパンが並ぶ
ベーカリーの隣にある「カフェ・ゼーバッハ」では、ベーカリーのパンを使ったサンドイッチなどを出す
――成功を夢見る若い独立予備軍のパン職人の方に何かアドバスイはありますか?
明石 リテールベーカリーの本質は何かをきちんと理解することだと思います。僕がここ、桜新町に店を出したときは、桜新町にサンジェルマンがあって、三軒茶屋にはムッターローザがあり、渋谷に行けばポンパドウルがあり、青山に行けば、ドンク、アンデルセンがありましたが、もし隣にこれらの店が来たとしても、平気でやっていられるようなベーカリーにするんだ、とういう意気込みでした。実際にそういことはないとは言い切れないわけで、そのときにもし閉店しなければならないようなベーカリーだったら、それは自分が悪いんだ、と自分に言い聞かせてやってきました。それには彼らに負けないようなパンを最低限作らなければなりません。
 僕はリテールの強みは、手間隙をかけられるということだと思っています。個人店はそれをやらなかったら成り立ちません。大手のまねをしていたら自殺行為だと思いますよ。食パンの型にしたって、どうしてみんな大手と同じ真四角の型を使うのかと思いますよ。あんなもの火が入りづらいし、我々はかえってあんな型を使っていたらだめなんだと思います。上にぐっと伸びる食パンを作りたいということもあって、うちは、ホテル系で使っているイギリスパンの型をずっと使っています。
 あとは、流行のパンを押さえておけばいいだろうみたいな部分でやっているとだめだと思いますね。例えば尖がったバゲットが雑誌にいっぱい載っていて、その店に行ってみたらちっとも作っていなくて、「本を見たんですけれど」と聞くと、「いあや、あの時だけです。普段はやっていません」みたいなことは多いですよ。
 どのパンを食べてもおいしくて、よく売れているパン屋さんでも、実際に品揃えを見てみると、毎日食べても飽きないパンが意外と少ないことに気づきます。そういう店はいいときはいいですが、あるとき急に売上が落ちますから気をつけなければなりません。基本のパンをちゃんとやっていれば、その部分だけは落ちないはずなんですよ。ベーカリーは仕掛けでやるもんではないと思いますね。パンは生鮮4品の4品目だと思っています。



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