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| 続・パン屋さん手帖/2004年8月号 |
2023年11月18日から、発行から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文が公開される仕様になりました。
| 第2章 ありのままのパン人生 | |
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今回は、私が挫折を味わった時のことを話したいと思います。私は、藤沢西武店で店長を務めた後、ブロック長になり、開発課の責任者も兼任していました。しかし無理がたたり、体調を壊してしまいました。腹部の痛みが強くなり病院に行って診察を受けると、胆嚢ポリープでした。
パン屋さん手帖(16) 橋本泰之(ベーカリーコンサルタント) 1956年横浜生まれ。新宿の専門学校を卒業後、銀座レストランみかわやに就職。その後センチュリーフーズ、モンタボーなどを経て、1996〜2001年、東京製菓学校教師。2001年10月、有限会社レーヴを設立、現在に至る。 |

| 病気で長期間休んで、新たな視点が加わった。
本当に焦る毎日だった。
腹部の痛みが引かなかったのは、胆管をポリープがふさいでいたためでした。会社から治るまで休めと言われ、休みを取ることになりました。病院で手術をするのですが、ベッドの空きがなく、1カ月くらいベッド待ちの期間がありました。焦る気持とみんなに申し訳ないという気持が交差して、本当に焦る毎日でした。一カ月後に手術をして一週間で退院の予定でした。手術はカテーテルといって腹部に四カ所穴をあけて、そこから器具を入れ、胆嚢を取り出すというものでした。少し脂肪が多かったので大変だったそうですが、無事に終わり、いつ退院しようか考えていた矢先に、心臓を圧迫するような発作が出てしまいました。未だにそれがどうして出たか分からないのですが、それから頻繁に発作に襲われ、1日に3〜4回、息も出来ないような状態になり、絶対安静で面会謝絶になってしまいました。 今だから笑って言えますが、「もう危ないらしい」という噂も流れたようです。出来る検査はすべてしたのですが、結局異常はありませんでした。しかし、退院が3週間延びてしまいました。発作の方はそれから2年くらい続きました。どこが悪いのか分からず、たまにですが最初よりも軽い発作が起こっていました。電車の中で起こると大変で、次の駅で降りてベンチで休んだこともありました。 手術の1カ月後に会社に戻り、社長に復帰祝いの食事会を開いて頂いたのですが、その席で発作が出て、その結果、すべての役職がなくなり、港南台店の店長になりました。そのころの私は焦りと、いつくるか分からない発作で、だいぶ参っていました。胆嚢がないのに食生活を変えなかったことや、精神的なことも影響していたのかも知れません。1年くらい店長をすることになり、もう一度自分自身の原点を考え直す時間をいただいたと思って、自分自身に出来ることから始めることにしました。多分その病気で苦しまなければ理論を勉強して学校で教えようとは思わなかったかも知れません。 「教育がすべてだ」と思った。 港南台店にいた時に各メーカーを訪問して工場見学をさせてもらいました。今から思えば病気になる以前は、私を中心に地球が回っているように思っていたのですが、私がいなくても店はまわっていました。自尊心の強い人は現状を理解したくない気持ちも働いて落ち込むのかも知れません。しかし、逆に考えると後輩には良いチャンスであり、人が育つと思いました。そう思ったらなぜか気持が楽になり、人を育てようと思い始めていました。 この翌年にベッカーマイスターのA検定を受けました。ベッカーマイスターでも労務管理や生産管理を学ばせていただきました。この検定試験に受かってから、私の考え方は大きく変わっていきました。『生産性を上げるには』『労働時間を短くするには』と考えた結果、「人の教育がすべてである」と感じました。 そのころ会社では私がベッカーマイスターの検定に受かったこともあったのですが、100億100店舗のスローガンで、出店攻勢が始まっていて、1カ月に4店舗出店、なんていうことが行われ始めていました。会社が新しい人材を必要とする時期でした。時期を同じくして、モンタボーパンアカデミー湘南研修センターを立ち上げて頂きました。そこで新入社員の研修をすることになりました。店から離れて新人に会社のあり方について、理論と実技と精神面から学ばせる仕事です。掃除に始まり朝礼、販売、製造、それに理論・・・。その頃色々な雑誌や専門書なども読み、自分自身でカリキュラムを作ってみました。このころからパン作り以外の仕事は夜やるようになり、睡眠時間が3〜5時間程度になってきて、いまだにそのスタンスは変わっていません。最初3カ月間だった講習は、その後1カ月になりさらに2週間、1週間と短くなっていきました。経費の面で日数が少なくなっていったのですが、色々なカリキュラムを作ることも出来て、自分自身には勉強になりました。 |

| 一人一人のスキルを上げることが、店を繁盛させることにつながる
人を育てるおもしろさを知った
東京製菓学校の先生であった宮田先生ともこの頃に会って、カリキュラムを見てもらい、参考書も見させて頂きました。 一人一人のスキルを上げることが、店を繁盛させることにつながる―この頃の思いは今でも私の方向性として大切にしています。 モンタボーでの3カ月講習では本当に生徒(従業員)から教えられました。人が団結するとものすごい力になります。いくら1人で頑張っても、周りの人にやる気がないと空回りをします。逆にみんながやる気を出す環境を作ると、大きなパワーが出ます。それによって店舗の力がつき、従業員のスキルも上がります。この講習で色々なことを教える楽しさを学びました。後に東京製菓学校で授業をする上での参考にもなりました。人を育てるおもしろさ、そしてパンアカデミーで教えた従業員と開店をする楽しさがあって、今の私があると思っています。 この頃、研修センターにいない時は新店舗の開店を行っていました。モンタボーの開店前には色々な儀式があったのですが、その中の一つを紹介したいと思います。 開店前に決起集会を行い、開店スタッフ、店舗スタッフ等を集めて、社長とともに「名前覚えゲーム」を行うのです。 みんなで輪を組んで、初めに社長が自己紹介をします。そして販売スタッフ、製造スタッフ、アルバイト、応援部隊の製造スタッフの順で自己紹介をしていきます。次の人はそれまでに自己紹介したすべての人の名前と肩書きを言ってから、自己紹介をしなければなりません。最後の方になると60人分くらいの名前と肩書きを言ってから自分の自己紹介をすることになります。 このゲームをしていると面白いことが分かります。いつも引っかかり名前を覚えてもらえない人は同じです(名前を間違えたり言えなかったら相手に「すみません」と言って名前を聞きます。覚えてもらえない人は何回でも立って自分の名前を言わなくてはいけません)。これはその人のアピール度が足りないためです。実際に仕事が始まると、名前を覚えてもらえなかった人は動きが悪いことが多いようです。 また、個々の性格もわかります。なにより良いのは仕事中にお互いを名前で呼べることです。人に物を頼むにしても名前が分かると、意思の疎通が生まれます。怪我やミスも少なくなり仕事がスムーズに運びます。 その後、年間30店舗以上のペースで開店していきました。人を育てるスピードより、開店のスピードの方が早くなっていきました。この頃の経験のお陰で、どんな仕事も前向きに考えられるようになりました。 チャンスは人との出会いから生まれる 私がいつも思っていることがあります。それはチャンスはすべての人に平等にあるということです。ただそのチャンスに気が付かないで通り過ぎてしまう人と、そのチャンスに気付き、それをプラスにする人がいます。チャンスは人との出会いから生まれます。自分自身を磨くことにより良い出会いが生まれます。そして、運命が変わります。 私はいつも次の4つの言葉を自分に言い聞かせています。 (1)簡単なことから始める(小さなこと、例えば掃除や商品説明などを一つずつ始める)(2)続ける(決めたことは毎日行う)(3)習慣になる(毎日続けると当たり前になる)(4)運命が変わる(周りの人の見方が変わってくる。一つのことを極めると自信がつきその人の人間性も変わってくる) 三日坊主で何をしても続かなかった子供の頃を思って、「やっぱり自分はパンが好きなんだ」と思うこの頃です。次回は東京製菓学校に入った時のことを書きたいと思います。 |

2023年11月18日から、発行から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文が公開される仕様になりました。







