パン職人は語る - パン・デ・フィロゾフの榎本 哲シェフ - ブランスリー電子版

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レポート/2025年11月号

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パン職人は語る - パン・デ・フィロゾフの榎本 哲シェフ
パン・デ・フィロゾフの榎本哲シェフ。1979年生まれ。東京製菓学校卒業後、「ポンパドウル」「カフェマディ」「パティスリーペルティエ」などで研鑽を積んだ。2008年からはマキシムグループが出店した「ドミニク・サブロン」の統括シェフを務める。2017年に東京・神楽坂に自身の店「パン・デ・フィロゾフ」、2022年にはビストロの「ドゥ・フィユ」を開業
 バゲットなどのハード系の湯種製法、米麹で起こしたパン酵母、また小麦の単品種を「シングルオリジン」と見立てそれらを自分で混ぜて、目指す食感、味、香りを作る方法等は、昨今、こだわりのパン屋での潮流となっている。これらの製法のパイオニア的存在とされるパン・デ・フィロゾフの榎本哲シェフは、弱冠27歳で、フランスから上陸したブーランジェリーのシェフとなり、9年後には「生地数がほぼアイテム数」という凝りに凝ったパンだけを並べた自店を開業した。手間暇かけた特別感のあるパンのアイデアの源、榎本シェフをそこまでのこだわりに突き動かす力について語ってもらった。



サブロン時代、フランスでパンは料理の一部と知る
入店するとパンが目に飛び込む。パンを主役とした店内
隠れ屋的なたたずまいの外観。神楽坂は、フランス料理店も多く、街並みも情緒的でフランスの食文化が溶け込んでいる風情だ
 子どもの頃から食べることが好きで、とりわけパンが好きでした。デスクワークには向いていないと思っていたので、高校卒業に当たって進路を決める際にパン職人を目指しました。子どもの頃、好きなパンは食パンや菓子パンでしたが、修業した「カフェマディ」や「パティスリーペルティエ」で本格的なハード系の美味しさに気付き、ハード系の生地を追究していくことがおもしろくて夢中になりました。ペルティエでの上司は志賀勝栄シェフでした。志賀シェフのル・セットを誰よりも上手く表現できると自信を持ちながら、日々仕事をこなしました。その後マキシムグループがフランスの「ドミニク・サブロン」を東京・新宿に出店するにあたり適任者を探しているとのことで、志賀さんの推薦で統括シェフに就任し、7年間務めました。
 サブロンでの経験で良かったことは、フランスに行って、本場のさまざまなパンや料理を味わったことです。「パンは料理の一部である」と認識したことで、食事パンの奥深さに一層はまりました。また経営にも携わり、部下もたくさんいたので、人のコントロールの仕方や育て方を学びました。コントロールとは、「その人の欲求をいかに満たしてあげるか」ですね。相手の側に立ち、気持ちを理解することが重要です。
 その他、学んだことについては技術や知識においては日本の方が優れているように感じました。フランス人はスピードはあるけど日本人の方が丁寧です。ただ食材の美味しさには目を見開きました。小麦粉、バター、チーズ、塩、そして水。サブロンではそれらを輸入して使用していましたが、船便だとやはり劣化して味は落ちてしまいます。材料に関しては現地の方が上であると感じました。

自分が作りたいパンだけを作る

 サブロンを辞め、数店の店の立ち上げに協力した後、いよいよ自分の店を2017年、東京・神楽坂に開業しました。職人を目指した当初からの夢でした。
 立ち上げにあたり、「自分が作りたいパンを作る」というポリシーを掲げました。生地の追究を極めた、自分が美味しいと思うパンで、ハード系の食事パンやヴィエノワズリーが中心です。
 出店場所の神楽坂はフランスの教育機関があることからフランス料理店も多く、街並みも情緒的でフランスの食文化が溶け込んでいる風情があり、自分の作りたいパンと、この街が合っていると感じています。店のインテリアは木と鉄と石を使って、グレーを基調として無機質なイメージを強調しました。ドアはアンティークを使用したり、店で使用している鉄の部品なども一部は古く見えるように加工したりして、あくまでも主役であるパンが引き立つための工夫をしています。実は凝っているのですが、シンプルな内装としました。パンの種類は少ないので売場は狭めです。
 現在のアイテム数は約20種に広がりましたが、開店当初は14〜16種、生地数は12種でした。配合も工程も妥協はしたくないからアイテム数は少なめです。ヴィエノワズリーは同じ生地で3〜4点の展開です。またこの生地を使えば一層美味しい製品ができると考えるものには少しだけ派生展開してますが、基本的には「1アイテム1生地」です。またその生地専用のパン種を作っているものも多くあります。小麦粉は単品種のもの数十種を使用しています。同じ品種で挽き方が違うものもあります。小麦の品種により付与する香り、味、食感等が異なるので、数種を混ぜて、目指す生地を設計しています。
 開業して8年経った今でも、お客様に「あんぱんはないの? クリームパンを作って」などと要望を出されることがありますが、自分のエゴを通したいので、そういったニーズに応えることはありません。また前述のように生地数は多く、アイテム数は「生地数+アルファ」です。生地数を少なくしてバラエティーを展開するのは、作業効率化の一方法ですが、これをやらない理由を端的に言えば、「商売の方を向いていない」からです。
 立ち上げ当初から、パンの品質が良ければ、地域の人が定期的に買いに来てくれる、地域の人にこそ高評価を得られたら本物で、利益は後から付いてくると確信しています。食事パンがほとんどなので、出店場所選びは重要でしたね。そして立ち上げ当初から、店の経営は絶対に成功する自信がありました。根拠は「パンが美味しいから」です。



湯種と麹種で革新を続ける情熱のパン職人、果てなき山を登り続ける
湯種を入れた生地で作った「アルファ・バゲット」(税込290円)。本捏でオートリーズを2時間とり、オーバーナイト発酵。シュー生地のような口溶けのクラスト
水は入れず、自然派の白ワインだけで仕込んだ「ル・ヴィニュロン・ブラン」(税込2980円)。リンゴ、クルミがゴロゴロ入った贅沢な味わい。魚、鶏肉、豚肉との相性がいいという
技術を惜しみなく伝えパンの未来を拓く

 棚に並ぶすべてのパンにこだわりがあり、それぞれに開発のストーリーがあります。例えば「アルファ・バゲット」は、僕の認識では世界初の湯種を配合したバゲットです。サブロンを辞めた後に食パンを売りとする新店のアドバイザーを頼まれたのですが、その際に湯種について研究し、「ハード系にも湯種を使用したら美味しくなる」と考え付きました。同バゲットは開店当初から作っています。ニップンの「グリストミル」(1CW)と、平和製粉の「粉粋」(キタノカオリ)を使用し、前々日作った湯種を配合しオーバーナイト発酵させています。デンプンがアルファー化しており、クープもうっすらと半透明です。クラムは粉の甘味が感じられ、食感はもちもち、クラストはシュー生地のような口溶けです。
 また、「バゲット・オリゼー」は、米麹で作った発酵種を配合したもので、麹菌(日本麹黴)の学名の「アスペルギルス・オリゼー」から名付けました。日本には味噌、醤油という優れた発酵文化があり、その骨格を成すものは米麹です。麹をパンに使用してみたいと思いました。当時、やっている人は誰もいなかったので、麹の発酵種を開発し、シンプルなバゲットで試してみようと考えました。開業して約1年後のことです。この麹種の製法は、コシヒカリの米麹に45度のお湯と小麦粉を入れて半日置くだけです。「グリストミル」「粉粋」、アグリシステムの「スム・レラ」(ホクシン)などで作った生地で、麹種を12%入れて、やはりオーバーナイトで発酵をとります。よく火が入った部分には醤油せんべいのような香ばしさが漂い、極上の味わいですが、この生地はダレやすいので発酵を引っ張ることができず、朝イチにしか焼成できません。
 試してみたいことはたくさんあり、湯種と麹種のハイブリッドで作ってみたのが、2022年に開業した僕が経営するビストロ「ドゥ・フィユ」で提供するテーブルパンです。これは本当に美味しいんです。水分量が多くアミノ酸たっぷりで、またデンプンの甘味が感じられ、皮目が香ばしく、二つの種のいいとこどりです。「パン・デ・フィロゾフ」では、この生地に岩ノリを練り込み、シラスとチーズを入れた「シラス・エ・フロマージュ」を置いていますが、これも朝イチでしか焼けない希少なパンとなっています。またビストロは僕が通いたい店を目指し、料理とパンのコーディネートを学んだなかで、「やりたいことをやる」というエゴを貫きました。フィロゾフ開業当初に飲食店も展開することを公言しており、実現したものです。
 その他、パン・ド・ミの「あさま」は、群馬県産の麺用小麦の「さとのそら」を中心に、ハチミツ、モルト、牛乳、ヨーグルトを加え、パン酵母は入れずにパート・フェルメンテのみを配合しています。
 そして白ワインで仕込んだ「ル・ヴィニュロン・ブラン」は、グリーンレーズンから起こした酵母を使用し、リンゴとクルミを練り込んでいます。ドライフルーツの白ワイン煮を作り、生地には水を入れずにワインの煮汁を配合、さらに煮汁をバシナージュして(追加して)水分量を105%まで高めたものです。フィグ、ㇾザン、ピーカンナッツ等を入れて、レーズン種の酵母を使用し、赤ワインのみで仕込んだ「ル・ヴィニュロン・ルージュ」も、ワインやウィスキーと合わせてほしい、特徴的なパンですね。
 今では、小麦粉の単品種を自分で混ぜて使用すること、ハード系への湯種製法、さらに麹種の使用は業界で広がりを見せています。後輩などにも積極的に同製法を教え、「使っていいよ」と勧めています。「僕が開発した製法だから、独占して他者に使わせない」なんて態度は、なんとも格好悪いじゃないですか。良い製法は波及していくものなので、日本のパン全体の品質の底上げになれば良いと考えています。

下山時の幸福感のために高い山に登る

パンの開発には、湯種を使いたい、米麹を種にしたいという製法からのアプローチもありますが、どちらかというと最終製品をイメージすることが多いと思います。まずパンのイメージをゴールとして設定し、粉などの材料、種、工程などの「引き出し」から選択してル・セットを決めていきます。最良の選択をするためには、選択肢を詰め込んだ、たくさんの引き出しが必要で、当然ながら経験を積むことが重要です。常識を疑う、常識にとらわれないこともポイントで、例えば僕のロデブは塩分が3・2%入ります。普通なら塩が多すぎると思うでしょうけれど、水分量が110%もあるから、これが美味しい分量なのです。また僕は秤や温度計がなくても、分量や温度にとらわれずに良いパンを作る自信があります。これは、自分のなかに明確な基準があるからこそ言えることで、基準作りにはやはり基礎学習と経験が不可欠なのです。
 また好奇心、向上心を持つことも大切です。例えば製粉業者とのやりとりのなかで、新しい製品が出たらまず使ってみる、欲しい粉がなかったら、逆にどのような粉が欲しいのかを提案してみるなど、積極性を持って接することも良いでしょう。
 そして美味しさとは何か、どんな組み合わせが美味しいのかを知るために、レストランの料理をよく知ること、レストランシェフとの対話も欠かせません。食べ歩きをして「美味しさの更新」を行って、舌に記憶させることも勉強だと考えています。
 現在は製造担当者を5人雇っており、立ち上げ当初にように製造は、ほぼ自分一人ということはなくなりました。製造担当には正確で速い仕事をしてもらうように、「動画を撮っていいよ」と言っていますし、逆にどれだけ上達したか、成形などは動画で記録して一緒に解析することも行っており、現代に沿った科学的方法で人材育成を行っています。人が育ってくれたお陰で、ビストロ経営や今後の新しい事業計画の余裕もできました。
 立ち上げ当初はぶっ続けで厨房に入りましたが、それは当然だし、自分のための努力なので苦しいと思ったことはありません。
 今は、まだまだ山を上っている途中ですが、将来的には頂上に到達し、いつかは現場を引退して山を下ることがあるでしょう。下りきった地点において、いかに幸福であるかを常に見ています。下った場所でも幸福度が高い状態にあるかどうかは、上った山がどれだけ高かったかにかかっています。
 もっと言えば下ることも楽しみたいと思います。そのための努力は惜しまず、まだまだベクトルを上にして、高い山を上り続けている真っ只中です。

SHOP DATA
店名:パン・デ・フィロゾフ
住所:〒162-0813 東京都新宿区東五軒町1-8
電話:03-6874-5808
営業時間:午前10時〜午後7時
定休日:月曜(不定休あり)
品揃え:約20品目
店舗面積:売場2.5坪、厨房10.2坪
スタッフ:製造常時3〜4人、販売常時2人
日商:平日約40万円、土曜、日曜約45万円



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