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| (続)パン屋さん手帖(11)/2004年3月号 |
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| 第2章 ありのままのパン人生 - 文・橋本泰之 | |
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今回はセンチュリーフーズに入社してからのことを書きたいと思います。結婚して子供が生まれて子供が3歳になるまでセンチュリーフーズにいました。多分一般の社会人でも仕事に家庭に充実してくる時期だと思います。
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| 悔しいけれど、渋々謝った。チーフの仕事を必死で覚えた。
突然チーフになり勢いだけで働いた
センチュリーフーズでは、鴨居店に配属されました。 店舗の売上は8万円くらいで、休日には10万くらい売っていました。 店舗にはチーフがいて、その2番手として仕事をしました。パートが2人いて、夕方はアルバイト1人と社員1人が最後まで残っていました。チーフが残ってくれましたので、私は夕方の5〜6時には帰る事が出来ました。 ゆったりとした店長で、余り売上商品構成などは気にしていませんでした。私はそのことで結構フラストレーションがたまっていました。 一緒に仕事をして一カ月がたったとき、料理の修業をしていた時と同じように、チーフに文句を言ってしまいました。今でもそのことは間違っていなかったと思います。 しかし、多分そのことが原因で、社長に「あいつはだめだ」っていわれてしまいました。 悔しいけれど、会社は、入ってすぐの人間よりもチーフを取ります。 結局この時は私の負けで、渋々謝りました。(このことは、後にモンタボーで店長達をまとめる時に役立ちました。もちろん店長の言うことを一番優先して考えますが、同時に従業員にもチーフについての意見を聞いて、公平な立場で評価するようにしていました) 私はそれまでにも増して、仕事をし、チーフに色々聞いて仕事を覚えていきました。一カ月後にはチーフの仕事をすべて私が行うようになっていました。 チーフは初め「良くやってくれている」と思っていたようですが、多分何となく居づらくなったのか、それとも給料体系に不満があったのか、一カ月後に突然会社に来なくなりました。 その時の売上ははじめに紹介したのとほぼ同じで、平均9万くらいでした。従業員も、パートが2人で、チーフがいなくなったので、夕方からは私がお店に出なくてはならなくなりました。 ロスは考えずに、ただただ作った。 こうした状況は、多分私が望んでいた事なのですが、子供も小さく、仕事漬けの日々が続いて、少し考えましたが、「好きなことをしているのだし、やらなくてはいけない時期だ」と思い、頑張る事にしました。 本社に店長が辞めたことを伝えたのですが、すぐには対応してくれませんでした。 私は人員を補充してもらうのはあきらめて、現状で頑張る事にしました。 ちょうど年末の12月でした。ろくすっぽパンが分からない人間がチーフをさせられて(チーフといっても会社が認めてくれていなかったので、立場的には従業員です)、無我夢中で仕事をしたと思います。 「会社に認めさせるには売上を上げて、予算をクリアすることだ」と考え、この一点に絞って頑張りました。 自分自身の中で売上を上げるにはどうすればいいかを考えてはいましたが、ロスのことは考えずに、ただがむしゃらに商品を作りました。今から思うと本当に勢いだけの時期だったと思います。 |

| 従業員と一体になった。みんなで万歳三唱をした。
パンの量は3万円以上あるから・・・
大変そうにやっているのを見かねてパートさんが窯焼きから成形まで、みんなで手伝ってくれるようになりました。年末の時期、今思えばパートもアルバイトも家のことなどで忙しかったはずなのに、普段通り毎日最後まで残ってくれました。 12月31日の大晦日、閉店30分前の7時の時点で、予算達成まであと3万円足りませんでした。パートさんに「みんな頑張ってくれたのに申し訳ない。今月あと3万売上が足りない」と正直に言いました。 パートさんたちは、「パンの量は3万以上あるから店頭でみんなで袋詰めにして売ろう」といってくれました。(袋詰めは確かによくない事だと思いますが、この時は多分「あり」でした) 館内のアナウンスも入れてもらって、私も表に出てみんなで大きな声を出して30分間販売しました。あっという間の30分でした。終わってみれば3万円どころか、4万円も売っていました。売上をみんなで確認して、みんなで万歳三唱をしました。 この時の嬉しさは一生忘れられません。そして人を動かすにはどうしたらいいか、それと1人では仕事はできない、ということを学んだと思います。 人一倍仕事をすべき時期がある 日商9万円のお店がこの日、28万円を売り上げました。センチュリーフーズの3店舗の中でトップでした。 その報奨金が5万円出ました。このお金はプールして中華街での食事会や飲み会の費用に充てました。報奨金は私の給料についてきていたので、多分私がもらってもよかったのかも知れません。でもこの売上を上げたのはみんなの努力だから、みんなで使う事にしました。そしてこれがさらにみんなのやる気を引き出す要因になりました。 結果的には翌年の3月まで1人でやらされました。(4月に社員を補充してもらいました)。自分から人を入れて欲しいとも言いませんでした。しっかりと結果を出したいと思ったからです。多分その時に人を入れてほしいと言っても、会社としては難しかったと思いますし、人が入れば評価も多分違っていたと思います。 人生で何回か、人一倍仕事をしなくてはならない時期が来ると思います。私にとってはその時がそうでした。 ドウコンもモルダーもなく、工場と売り場を足しても9坪しかなくて、それまで一度も売上目標を達成できたことがなかった店が、毎月目標を達成できるようになりました。 これは、私の力だけではなく、パート・アルバイトの力が大きかったと思います。みんなが「この店をどうにかしなければいけない」と思っていたと思います。 多分私が1人でやっていた姿を見て、みんなが動いてくれたのだと思います。「不言実行」とよくいいますが、人を動かす源はこの辺にあるのかも知れないと思います。 私にとっては、従業員にやる気を出させる事が、お店の繁栄のためにどれだけ大切か、について実体験できた時期でした。 今回はこの辺で終わります。次回は私を変えた人との出会い、それにお店の売上が一挙に3倍になった時の勢いについて書きたいと思います。 |


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