パンの移動販売 - ブランスリー電子版

2026年10月21日に公表されたPHPの脆弱性(CVE-2026-109618、CVE-2026-109619)については、いずれも対策を完了しています。

ブランスリーアーカイブ(創刊号からの全記事)
記事の閲覧
<<戻る写真をクリックすると拡大写真が見られます。
特集/2021年5月号

2023年11月18日から、発行から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文が公開される仕様になりました。


パンの移動販売




昭和の伝説的移動販売が、岐阜で甦り、人気が再燃 - ロバのパン
2009年に復活した「一恵庵 ロバのパン工房」の専用移動販売車
「一恵庵 ロバのパン工房」代表の渡辺真理子さん
岐阜県岐阜市岩栄町にある「一恵庵 ロバのパン工房」の拠点工房
「一恵庵 ロバのパン工房」の移動販売車には「ロバのパン」の文字が書かれている
実際に馬車を使っていた頃の「ロバのパン」の販売風景
昭和初期のビタミンパン連鎖店本部
長い時を超えて復活

 岐阜市岩栄町に拠点を構える「一恵庵 ロバのパン工房」は、昭和30年代に人気を集めた蒸しパンを馬車で販売して歩く「ロバのパン」を岐阜で復活させるためにできたベーカリーだ。代表の渡辺真理子さんは、昭和の時代に「パン売りのロバさん」のメロディーを流しながら馬車で練り歩いた「ロバのパン」を、長い時間を超えて、2009年に岐阜県で蘇らせたのだ。
 「ロバのパン」は昭和初期の時代から京都で蒸しパンの卸売をしていた会社、ビタミンパン連鎖店本部が、昭和28年に京都の本部と静岡県の浜松で始めた馬車を用いた蒸しパンの移動販売で、今でいうフランチャイズ展開のような形をとっていた。昭和30年代半ばをピークに創業者の桑原貞吉氏の出身地だった岐阜や、京都本部、浜松のほか西日本を中心にフランチャイジーのような役割の代理店を設け、全体で約170台の馬車で各地を販売に回っていた。しかし、高度経済成長の流れで交通事情が変わったことから、馬車は、リヤカーや車に変わっていき、そのうちオーブンで焼成するパンを販売するベーカリーが主流となっていく流れの中で、蒸しパンを販売する「ロバのパン」は、徐々に衰退。京都本部のほか、西日本の一部の地域で細々と続けるのみとなっていった。
 岐阜県の代理店を運営していたのは、渡辺さんの義理の母だったが、「ロバのパン」全盛期には「岐阜のロバのパン」は女性オーナーらしい人あたりの良い接客もあっておおいに繁盛した。しかし、ロバのパン全体が衰退していく中で、30年ほど前に店を閉めていた。以来、岐阜では約20年もの間、「ロバのパン」は人々の懐かしい思い出の中のものになっていた。

懐かしいメロディーが響く

 20年ぶりに「岐阜のロバパン」が蘇った販売の初日、渡辺さんが懐かしい「パン売りのロバさん」のメロディーを流しながら販売を始めたところ、大騒ぎになった。
 「皆、あのメロディーを覚えていました。そして、たくさんの人が集まってきたんです。中には『家の鍵もかけないで走ってきたから泥棒に入られたらどうしよう』と話しながら来た人や、『足腰も立たないようなお婆さんがすっと立って歩いて行こうとしたから一緒に来た』という息子さんまで、色々な人たちが集まってきました」(渡辺さん)
 その結果、1個税込170円(現在は税込216円)の蒸しパン「ロバのパン」はあっという間に売り切れてしまった。渡辺さんが率いる岐阜の代理店の復活は各地で様々なメディアにも取り上げられ、全国的に「ロバのパン」の記憶を呼び起こさせる結果となった。
 「おかげ様で販売スポットの開拓にもあまり困りませんでした。高齢の方は大体『ロバのパン』の事を覚えてくださっていましたしね」(渡辺さん)
 6月4日の『蒸しパンの日』には地元放送局とタイアップしたPRイベントを行うなど、地元の人からの「ロバのパン」の人気は熱かった。
 実は「ロバのパン」の製法は昔と全く変わっていないという。小麦粉と砂糖、米油、秘伝のベーキングパウダーが材料で、保存料は使わず一つ一つ木の蒸籠(せいろ)で蒸す。
 ラインアップは、ピンク色の生地を使用して作った「チョコレート」や「苺ジャム」から、黄色い生地を使用した「カスタードクリーム」、そして「抹茶パン」や「黒糖」など鮮やかな色の蒸しパンが12種類ほどあるが、これはショーケースを照らす電気が使えなかった時代に、商品を目立たせるために色をつけていたものを、体に優しい天然の素材を使った着色料で再現したものだという。「パンの素」と呼ばれる秘伝のベーキングパウダーを使っているため、焼き上がった製品の表面が割れているのが特徴だ。



昭和の全盛期に岐阜だけで販売されていたものを復活させた「ゼリーパン」(税込216円)。当時の子供達に大人気だった商品
「ロバのパン」の人気商品の数々
「一恵庵 ロバのパン工房」の移動販売車での「ロバのパン」の販売風景
「一恵庵 ロバのパン工房」取締役の山田幸弘さん
すべては思い出話から始まった

 渡辺さんが「ロバのパン」を岐阜県で復活させることになった転機は、今から十数年ほど前に訪れた。もともとホテルを中心とした人材派遣業を営んでいた渡辺さんが、行きつけの店で飲み仲間と会食をしていた時に、そこにいた飲み仲間の一人で、当時はホテルのレストランでコックをしていた山田幸弘さんが、ひょんなことから思い出話の一つとして子供の頃よく食べた「ロバのパン」の話を始めたのだった。山田さんは後に渡辺さんが立ち上げた「一恵庵 ロバのパン工房」の職人兼取締役になった人物だ。
 「飲み仲間と話しているうちに『ロバのパン』が岐阜でもまた復活すれば良いのに、といった話で盛り上がってしまったんです」と渡辺さんは振り返る。渡辺さんの仲間うちでは、それをきっかけに1年くらい「ロバのパン」のネタの話が続いたという。
 渡辺さんはその間、自分が「ロバのパン」の一族と繋がりがあることを隠していたが、ある段階で、「実はロバのパンの代理店を運営する権利を嫁ぎ先からもらっている」と仲間に明かした。
 それで結局、渡辺さんは、皆から推される形で「ロバのパン」を復活させる事になったのだった。ただ、渡辺さんは「当時は秘伝の材料やレシピも知らなかったため、『ロバのパン』の蒸しパンが作れなかった」と振り返る。

低速走行でも負担がない車

 結局、渡辺さんは、三重県四日市市で老夫婦が細々と続けていた「ロバのパン」の代理店を見つけ出し、そこから商品を卸してもらえることになり、「ロバのパン」の営業ができる事となった。しかし、京都の本部の許可を得てからは、自宅の台所で作るようになり、2016年には岐阜市岩栄町に正式な自社工房を建設している。
 また、販売に使う車は専門の業者に頼み、昭和後期に使っていた車のデザインに近いものをワンボックスカーを改造して作ってもらった。ロバのイラストが描かれ、赤と白を基調にした鮮やかなデザインのものだ。実は昭和後期に「ロバのパン」が徐々に消失して行った背景には、低速で動く車のメンテナンスが難しかったということがあった。そのため、車体に負担がかからないような、新しい車を作ってもらった。
 現在では車の数も4台に増やし、岐阜のほか、愛知県西北部や名古屋方面に至るまで巡回している。また移動販売だけでなく、催事場や岐阜県美濃加茂市の道の駅「ぎふ清流里山公園」の売店での販売も行うようになった。



サンマルシェ高蔵寺の催事で、赤を基調にした鮮やかな垂れ幕に「伝統の蒸しパン!ロバのパン」の文字が躍る
2020年の6月4日から6月7日まで、サンマルシェ高蔵寺(愛知県春日井市)で行われた催事販売の様子
岐阜県美濃加茂市の「ぎふ清流里山公園」にある「ロバのパン」の売店の様子
コロナ禍で皆を励ましていく

 渡辺さんが岐阜で「ロバのパン」を復活させてから10年以上が経過した。令和の時代を迎え、コロナ禍では、外食が制限される中、「ロバのパン」は高齢者だけではなく若い人からの引き合いも多くなっている。
 「最近では企業のお昼ご飯にと巡回を頼まれる事も多くなりました」(渡辺さん)
 近年は、頻繁に動き回るより、催事場など一カ所にある程度とどまって売れる販売スポットを増やすようにしているという。
 「やっぱりなるべく最小限に動くようにする事で、車体への負担を避けたいという思いがあります」(渡辺さん)
 日本でのパンの移動販売としては草分け的存在の「ロバのパン」だが、渡辺さんには、令和という新しい時代の中で将来の展望として思うことがあるという。
 「本店がある京都までの道のりに、切れ目なく『ロバのパン』がある状態にしていきたいということと、浜松までのラインをも作る事の2点を目標としています」(渡辺さん)
 昭和28年に初めて「ロバのパン」の移動販売が始まったのが、静岡県の浜松と、本店がある京都で、当時その四輪の馬車を提案してくれたのが浜松の「亀屋パン」の社長だったことから、浜松は「ロバのパン」と縁が深い場所なのだという。
 「移動販売はコロナ禍の中では、その利便性ばかりが注目されがちですが、車で訪問する事自体が、お客様を励ます事に繋がるという側面もあります。続けるのは大変ですが、やりがいのある仕事だと思います」(渡辺さん)

店名:一恵庵 ロバのパン工房
住所:〒500‐8134 岐阜県岐阜市岩栄町2‐17
電話:058‐213‐8188
営業時間:午前10時〜午後8時(移動販売)
定休日:不定休
品揃え:定番12品に日替わり8品目を加えた合計20品目
スタッフ:製造常時2人、販売常時5人(移動販売3人、催事1人、道の駅売店1人)

30年以上続けた移動販売コロナ禍を経て大きく変革 - エッセングループ
横浜市を拠点に展開するエッセングループの専用移動販売車
グループの代表で創業者でもあるエッセンの角田憲治社長
「エッセン」鴨居本店の様子
移動販売車の扉を開けると、陳列棚に並べられたパンの姿を見ることができる
沢山のパンが並ぶ移動販売車の陳列棚(2017年9月撮影)
「エッセン」デパートでの催事販売の様子。ベテランのスタッフが販売を担当している
パンと車が好きで始まった

 神奈川県横浜市を拠点に展開するエッセングループは、1985年の創業から30年以上パンの移動販売を続けてきた。現在は10台以上のパン専用の販売車でそれぞれ20カ所以上の販売ポイントを回っている。
 販売場所は街中や住宅街の路上もあるが、最近は企業の敷地内や学校、期間限定のイベント会場や結婚式場などで販売スポットを確保することが多くなってきているという。
 「販売する前に、必ずその場所を提供してくれる側の責任者に会って話し、口約束での取り決めですが販売の許可を得ます」(エッセングループ広報)
 基本的には、許可は得ても場所代を請求されるような事はほとんどないが、逆に向こうから頼まれてその場所へ売りに行く場合でも、巡回料などはもらわないという。
 1日の客数は1台につき、60〜100人ほど。それぞれルートや販売スポットがかぶらないように割り当てているが、場所を提供している側の都合で販売ポイントが減る事もある。逆にドライバーや営業担当者の新規開拓により販売スポットが増える事もある。
 今はコロナ禍で、昼休み中も社員を外に出したくない企業などから巡回の要望をもらう事も増えてきた。また何年か前に老人福祉関係の展示会に出展してからは、老人ホームや介護施設からの引き合いが多くなり、販売スポット数も巡回頻度も目覚しく伸びてきているという。
 エッセングループは製造を主な事業とした会社、エッセンと販売会社であるエッセンハイムを中心に5つのグループ会社で構成される。
 グループの代表で創業者でもあるエッセンの角田憲治社長は「移動販売は投資コストが低いので始めるのは比較的楽ですが、雨の日も風の日も外を回らなければならないし、客単価は低いから薄利多売で続けていくのは大変です。車のメンテナンスも大変ですよ。パンだけじゃなく、車も好きでないと続けられないですね」と話す。

ドイツの行商から得たヒント

 角田社長は今から40年以上前、25才の時にベーカリー業界に入る。もともと京都から22才で上京し、スポーツグッズの輸入販売業を営んでいたが、縁あって紹介状を頂き、東京・丸の内の東京會舘内のベーカリーで見習いのパン職人として働き始める事となった。
 そして3年ほどして、取引先の貿易会社の社長の紹介でドイツに行き、現地のベーカリーで修行させてもらう事になったのが人生の大きな転機となったという。
 「パン作りだけではなく、向こうの文化から生活の様々な事に至るまで見聞きし、実に色々な経験をしました。ドイツだけでなくヨーロッパの各地を回ったりもしましたね」(角田社長)
 中でも、今に通ずる経験となったのが、中部ドイツ・ハイデルベルグでメルセデスのワゴン車で魚を売りに来ていた行商の姿を目にした事だという。人々の生活の中に自然と溶け込んでいたその魚売りの姿は角田社長の脳裏に、大きなインパクトを残した。
 そして角田社長は、帰国後ほどなくして独立し、ベーカリーを立ち上げる。まだ移動販売という形式は取り入れず、普通の「街のパン屋」だったが、まず東京・八王子で1店舗目をオープン、続いて新横浜で2店目、そして3店目を現在まで続く横浜・鴨居でオープン。
そして珍しい事に新横浜店では併せて自動車の製造・販売も手掛けるようになった。
 それというのも、実は角田社長は無類の車好きだったからだ。パン作りだけではなく、自分で部品を組み立てて車を製造することもできた角田社長は、そのうちに、パンの移動販売車のような車の開発・製造・販売も始めるようになった。そして3年ほどが経過する。
 「店を作ってからしばらくして、自分が作った配送車を使って自分の店のパンを売る事を始めました。ドイツで見た魚売りの姿が脳裏にあった事もありますが、遠くに住んでいて店まで来られない人達にも当店のパンを届けてあげたいという思いがありましたね」(角田社長)
 当時は角田社長ともう一人の従業員とで作ったパンを角田社長が一人で車に乗って販売に回り、販売スポットは団地や町工場が中心。今のように催事場へ呼ばれて行くような事はなく、店の工場で製造したできたてのパンを各販売スポットへ直接配送して届けていた。
 メニューは初期の頃はライ麦パンなどのドイツパンやハード系のパンなども多く出していたという。
 「ドイツパンやハード系のパンは、固定ファンもいたのですが、移動販売の車に集まってくるお客様が多く求めているものを考えた結果、高齢のお客様も多いので柔らかいパンの方が増えていきました」(角田社長)
 やわらかいパンが多い中でも、ドイツパンの影響が残るパンも多く、「モーン」や「アプフェル」など、ドイツの名残が窺える商品もある。

催事販売での「エッセン」のパンの人気は根強く、デパートにとって集客の一助となっている
「エッセン」創業時以来のロングセラー商品「モーン」。デニッシュ生地にシロップで煮詰めた黒ケシの実をサンドしている
「エッセン」本部工場の様子。パンのほか、人気のクッキーも製造している
「エッセン」本部工場は、充実した製パン設備が備わっている
エッセングループのパンの移動販売車が勢ぞろい
売り上げの半分は移動販売

 創業から40年近く経つが、実は同社はこれまで「有限会社エッセン」として上海や韓国などの海外にも出店や指導で進出した経験もあり、様々な投資を行ってきたという。
 「多くは人から要望があって海外へ店を出したものでしたが、やるからには良い仕事をしいと思いました。結果、浮き沈みもありましたが、全ては血となり肉となり、良い経験として現在のエッセングループの一部になっています」と角田社長は語る。
 ただ最近は海外展開よりも、2015年頃から開始したデパートや大型ショッピングモールなどの催事での販売に力を入れるようになってきている。
 催事販売は結果が良ければまれに常設店になる事もあるが、デパート側からすると冒険になるので、実現することはまれだという。
 エッセン側にとっては移動販売の枠のみに拘っているわけではなく、催事販売の拡大にも引き続き力を入れていきたいが、それでも売り上げの半分は今でも移動販売によるものだという。
 その移動販売は昨年、売り上げが例年よりおよそ2割伸びた。
 コロナ禍が追い風となった可能性のほか、もともと新規の販売スポットが増えてきていた事もある。特に増加がめざましい老人ホームなどは、販売車で入って集まってきた客へ直接売る場合と、施設側に在庫を卸売りする場合があるが、両方とも手応えがある。
 「ロングセラーで長く続いている商品の人気がやはり手堅いですね。添加物などは極力入れず丁寧に作るように指導していますが、庶民的で入りやすい感覚も忘れず、価格は無理のない範囲で抑えるよう心がけているのが良かったのかもしれません」(角田社長)
 高齢者が食べやすい優しい味で、なおかつ、普段はなかなか外に出られない買い物弱者である事を意識した気配りができるかどうかもポイントだ。
 ドライバーも兼ねた販売スタッフは行列ができるような場所でなければなるべく丁寧な接客を心がけるが、さりげない会話の中で客の動向をつかみ、新商品などを紹介をする事も忘れない。

若い世代の育成がポイント

 エッセングループは、移動販売車での販売と同じくらい、本部工場内の職人スタッフの技術力育成や商品開発にも力を入れている。
 新商品は本部工場で、新人の若いスタッフも含め皆がなるべく参加し提案しあって決めていく。
 「商品開発に携わることは、上下関係なく皆にとって成長の機会になるから、なるべく参加してもらいたいと考えています。人材あっての会社成長ですが、今は会社にとって大きな変革機を迎えているのではと感じていますね。だから今は移動販売業のみに拘らない様々な形での投資を行っていきたいとも考えています」(角田社長)
 体制的には、製販分離で分社化したが、今後は若い世代の育成がキーポイントとなってくると考えている。
 独立希望者も受け入れはするが、何事も勉強だと思って挑戦していけるような理念や哲学がないと厳しいと助言はしたいという。
 「人とのつながりを大切にして、チャンスのタイミングを見逃さずに、そのワンチャンスにかける勇気で成功につなげて欲しいですね」(角田社長)

店名:エッセン
住所:〒226‐0003 神奈川県横浜市緑区鴨居1‐9‐12
電話:045‐935‐3108
営業時間:午前10時〜午後7時ぐらい(移動販売)
定休日:日曜
品揃え:20〜60品目
スタッフ:製造常時30人(本部工場)、販売約20人(移動販売、催事販売、本店店頭などを合わせた数字)

原価計算女王
原価計算女王

2023年11月18日から、発行から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文が公開される仕様になりました。

今月の公開記事

  1. POLINの高性能オーブンを日本市場へ 。450℃の焼成力と緻密なヒーター制御 - スズキ産業の下河拓磨社長
  2. 見やすい売り場と旬の味で、地域が誇れるベーカリーへ - アリマベーカリー
  3. 「ちいかわ」の世界観を表現したパンと店づくり - ちいかわベーカリー
  4. 掲載から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文を公開しています。
    ブランスリーアーカイブ
ブラ立ち読み
(記事の無料メール配信)
詳細はこちら