記事の閲覧
| <<戻る | 写真をクリックすると拡大写真が見られます。 |
| (続)パン屋さん手帖(10)/2004年2月号 |
2023年11月18日から、発行から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文が公開される仕様になりました。
| 第2章 ありのままのパン人生 - 文・橋本泰之 | |
|
|

| 「失敗はチャンス」と前向きに考え自分を磨き続けることが大切
別の店に移ろうと決意した。
パン作りがこんなに面白いとは思ってもいなくて、ずいぶんとのめり込みました。 そして、もっと勉強したかったのと、どのくらい力が付いたのかが知りたくて、お店を変わる決意をしました。 そのとき働いていた店舗は、1日の売り上げが22万円くらいでした。移動販売も行っていました。従業員は5人。洋菓子も作っていて、5人のうち2人は洋菓子担当でした。洋菓子の部屋でサンドも作っていました。 でも、実際には何人従業員が必要なのか、実際に効率のいい仕事をしているのか、などについてはあまり考えませんでした。現場で作業をしているとそんなことを考える暇がなかった記憶があります。 面接の前の段階で断られた。 お店を変わろうと思って色々な店舗に面接に行きました。年齢は30歳で経験は3年です。 私が世の中の厳しさを味わったのは多分このときが初めてだったと思います。 でも、この時の経験のおかげで、後にモンタボーや東京製菓学校で面接を受けたときは、自信を持って臨むことができました。「自分を採らないとこの会社は損をするぞ」と思って面接に向かいました。 しかし、当時はそんな自信もなく、面接をすればどこでも入れると思っていました。面接に行った会社は全部で5つでした。大手でデパートなどに入っているチェーン店(フランスパンの有名なベーカリー)、スーパーで展開しているベーカリーなど、それに実際に就職することになるセンチュリーフーズとモンタボーです。 会社によって面接の形態も違いました。初めの2店舗は、正式な面接の前の段階で断られました。 「自分のあこがれていた店舗で一度は仕事をしてみたい」「フランスパンを作ってみたい」・・・そう思って面接に行ったのですが、しっかりした会社案内を頂いて、話を聞いているうちに「年齢の割に経験が少ない。今の職場でどんな仕事をしたかが大切だ」と感じました。そして、面接というよりは、ただ話を聞いて諭されて帰ってきた、という感じでした。 年齢の割に力不足だった。 現実は厳しいものです。30歳前後でパン屋さんを目指す人や、第2の人生でパン屋さんをする人は、すばらしいことではありますが、世間はそう簡単には受け入れてくれません。この世界は、そういう人には狭き門かも知れません。 現実に年齢給で考えると、若い子を採って仕事をさせた方がいいし、育てられるという利点もあります。動きも若い子の方がいいでしょう。逆に仕事が人一倍出来て、チーフとして求められる人はたくさんいると思います。 そんな中で、「私は年齢も高く仕事も中途半端だ」と痛感しました。その後に東急や小田急沿線に多くの店舗があり川崎の高津に本社工場のある会社に面接に行きました。ここは最初に軽い面接をして、後日実地の試験があり、その後に労働条件の話し合いをする、という段取りでした。私は、面接で、そのとき働いていた店の配合や、製パン基礎知識、使用機械、それに機械の使用電力などを聞かれて、ほとんど答えられませんでした。その場で断られました。面接の後、結構落ち込みました。ちなみにそのときの面接官とは、今でもお付き合いさせていただいています。 チャンスは自分で作るもの でも大手リテールベーカリーの面接で色々学びました。もう一度製パンに大切なことを考えて、機械のメーカー名、そして容量、消費電力、パンの配合・工程などを色々調べました。製パンの専門書を買って勉強もするようになりました。この面接で本当に大きな収穫を頂いたと今では思っています。仮にそのときすんなりと受かっていたら、今の自分はなかったかも知れません。 人生の巡り合わせ、チャンスは自分自身で作るものですし、そのチャンスに気が付くように自分を磨かなくてはいけないと思うようになりました。そのときはまだ自分のレベルが低く、時期が早かったのだと思っています。採用する側の立場になってみれば、確かに年齢も関係あったと思いますが、その前に製パンのレベルが今から思うと低すぎたと思います。そしてさらに3つの会社の面接を受けて、最終的にはセンチュリーフーズに就職をするのですが、同じ時期にモンタボーの面接も受けました。モンタボーには、センチュリーフーズで3年お世話になった後に入社するのですが、多分この順番が違っていたら、モンタボーでのポストに就けたか分かりません。多分私の進む人生の道も違っていたと思います。 |

| つらいと思って仕事をするより、楽しいと思って仕事をした方がいい
ハングリー精神が自分を支えた
その頃は、子供も生まれたばかりで、今から思うと一番お金で苦しかった時期でした。まだまだ給料も少なく、結婚して子供が生まれ、それまでやっていたテニスとゴルフを止めました。車も手放しました。給料から家賃と光熱費を支払うとほとんどお金が残りませんでした。お小遣いもなく昔から乗っていたバイクで通勤して交通費を浮かせて、それを小遣いに充てていました。 今、その頃の私と同じ状況の人はいっぱいいると思います。そこで大切なのは、「仕事が出来て給料をたくさん取れる人間になってやる」というハングリー精神だと思います。確かに今思うと大変でしたが、パンが好きになっていて、給料が少なくても私自身が納得して仕事をしていたように感じます。 一つの教訓ですが、つらいと思って仕事をするのと、楽しいと思って仕事をするのとでは、決定的な違いがあります。後になって大きな違いとなって現れてくると思います。怒られて、頭に来るのなら、それを自覚して同じ失敗はしないことが大切だと思います。もし仕事が遅くまでかかるなら、無駄な時間を10分でもいいから減らして早く帰る、何か言われても自分のためだと思って前向きに物事を考える、そしてアルバイトだろうと後輩だろうと良いものは認めて、自分自身でそれを吸収し、それ以上のものを作ろうと努力する―こうしたことが一番大切だと思います。 センチュリーフーズでの3年間は、本当に勢いだけの日々でしたが、そんな中で今の私の原点が見えてくる出来事がありました。その辺のことは、次回書きたいと思います。 |


2023年11月18日から、発行から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文が公開される仕様になりました。







