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| 連載/2012年11月号 |
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| 若きパン職人を育てた一人のコンパニオン ジャック・タピオさんとの出会い | |
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一粒の麦から(10) - 本行恵子
日本に本格的なフランスパンを伝えたレイモン・カルヴェル氏の愛弟子のひとりであるジャック・タピオさんが61歳で亡くなり5年が過ぎました。今でも彼が育てた多くのパン職人たちの心には、良いパン作りを目指す魂が生き続けています。 ジビエがおいしくなりはじめた9月下旬、私はタピオさんと家族ぐるみで親交のあった田島浩太さん(クーロンヌ・ジャポン社長)と芝 園さん(パイニイ マネージャー)と一緒に渡仏し、タピオさんのお墓参りをし、それぞれ自分たちの近況報告と感謝の気持ちを伝えてきました。私たち3人が初めてタピオさんに会ったのは、2000年の秋、パリで開催された「アミカル会」の総会に参加した時です。当時お元気であったカルヴェル氏も総会においでになり、次世代を担うパン職人たちに「妥協することなく信念を持ち良いパンを作るように」と力強く語っておられました。私たちは同会会員でフランス在住のジャーナリストの松浦恵理子さんに通訳をお願いして、フランスのアミカル会会員たちと交流の時を持ちました。そして懇親会で、当時会長を務めていたジェラール・ムニエ氏から紹介されたのがタピオさんです。彼はすでに世界各国のパン職人を研修生として受け入れており、アミカル総会にも日本の職人さんたちと一緒に出席していました。そして店舗の見学も快く受けてくださり、翌日3人で店を訪問。地下の厨房でパンを焼く作業や、意匠を凝らした1階の店でマダムが次々訪れるお客に手際よくパンを売る様子を見学。パリのブーランジュリーを目の当たりにし、感激したことを今でも良く覚えています。私たちの交流はここから始まりました。 |

| 若い人たちに技術を伝承 | |
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タピオさんは1946年、フランス南西部ジェール県モンギエムの農家に生まれました。若くしてパン職人を志し、地元のパン屋で3年間見習いとして働き、その後フランスの国内を転々としながらパリに到着。看護師をしていたベティーさんと出会い結婚し、1974年にパリ郊外のイッシー・レ・ムリノー市でブーランジュリーを開業しました。1978年に北駅近くのパリ10区のマジャンタ通りに移転し、「タピオ・ラ・バゲット・ド・パリ」の店名で2005年まで営業しました。
店の仕事だけではなく尊敬するカルヴェル氏の影響もあり、若い人たちに技術を伝承することにも熱心でした。フランスには、「コンパニオン」の称号を持つ職人同業者組合員のもとで、若い人が修行する制度があって、タピオさんもコンパニオンの一人でした。彼の店の情報は、日本にも様々な雑誌を通じて紹介されました。お蔭で大勢の日本人たちが店を訪れ、タピオさんも日本への関心が高まり、日本の文化にも興味を持つようになります。その頃から日本のパン・菓子職人が次々と店を訪れるようになり、短い人は1日、長い人は1年以上研修させていただいたのです。彼らの多くはタピオさんから薫陶を受け、現在ブーランジュリーのオーナーシェフや職人として、またパティシエとして、それぞれの立場で活躍しています。 |

| 日本で脈打つタピオさんの教え
田島さんはタピオさんから店舗経営に参考になるいろいろなことを学び、その後も度々訪問しアドバイスを受けてきました。
またタピオさんの店舗を見学して大いに刺激を受けた芝さんは、帰国後手紙を書き研修を希望する気持ちを熱心に伝えました。そして念願が叶い、2001年5月31日パリに旅立ちました。仕事場には誰よりも早く入り夜遅くまで働いて、定番商品であるバゲットやクロワッサンの作り方を必死で覚えました。言葉の壁や生活習慣の違いなどから、パリでの生活に慣れるまでには時間がかかりました。しかし1年が過ぎ日本に帰る頃には、タピオさん夫妻とまるで家族のように親しくなっていました。その後も連絡を取りながら、製パン技術の腕を上げていきました。数年後にはフランスに送り出してくれた「パイニイ」の松野恭也社長の期待に応え、「ムッシュ・タピオのパンコーナー」を作ります。そこには学んできたパンがパリの店のように並べられ、その成果を見るためタピオ夫妻が日本にやってきました。店では「ムッシュ・タピオ来日記念フェア」も開催され、お客様からは大きな反響がありました。41年の歴史ある「パイニイ」に、園さんが新しい風を吹き込んだのです。タピオさんはこれからやっと自由な時間ができ、弟子たちの店を周りたいと思っていた矢先に発病。ご本人もどんなにか無念であったことでしょう。一昨年タピオさんの代わりとなってマダムが友人達と一緒に来日し、活躍する弟子たちの店を訪ねタピオさんの足跡を確認して帰国しました。 またマダムは世界中に居る弟子たちがタピオさんの故郷であるガスコーニュ地方に来て気軽に泊まれるように、自宅をゲストハウスとして開放しています。ジビエやフォアグラを味わったり、アルマニャックの生産者を訪問するなど、地元の食文化を体験できるプログラムも企画しています。 タピオさん! あなたが蒔いた種は、こんなに豊かに実り始めていますよ。 |

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本行 恵子(ほんぎょう けいこ) パンと食のライター。家庭製パン教室を10年間主宰した後、パン業界専門誌『B&C』の編集記者、編集長として勤務。16年間の在職中、日本各地のリテールベーカリーや欧米、アジア諸国を訪問し、パンと食文化を取材。現在はフリーの立場で、業界専門誌や企業ホームページでの執筆活動、業界関連団体への企画提案などを行っている。ライフワークは、パンのある食卓の提案。
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