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| インタビュー/2012年2月号 |
2023年11月18日から、発行から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文が公開される仕様になりました。
| 自家製のフィリングと焼きたてにこだわる ‐ パンメゾンもあ四季彩館の松島昌彦会長に聞く | |
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神奈川県内に複数のベーカリーを展開する「パンメゾンもあ」の松島昌彦会長は、冷凍食品や惣菜工場の工場長を長く務め、40歳を過ぎて、ベーカリーを開業。現在は3店舗を擁し、年商6億円の規模にまで成長したが、スタート時は、売り場5坪の小さなベーカリーだった。2号店を出すまでの10年間の試行錯誤が、2号店で一気に花開き、現在の繁盛の仕組みの基礎となったという。夫婦の理想が、いつの間にか社員の理想になり、その結果として繁盛の仕組みが出来上がった。松島会長は「私たち夫婦がやりたいと思っていることを、社員の方からやりましょうと言って来るんですよね」と目を細める。
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| フレッシュなパンを提供したかった
―――まず、ベーカリー開業に至った経緯を聞かせてください。
松島 大学を出て、外資系のネスレという会社に飛び込みました。そこで販売企画をやり、次第に食品を作ることに興味を持つようになりました。1973年に結婚して、家内の大阪の実家が冷凍食品の工場をやっていたので、私がそれを手伝うことになりました。そこでは12年間働かせてもらい、食品製造のノウハウを得ることができました。1985年には、夫婦で東京に出てきました。そして、当時東京・多摩地区に展開していた中堅スーパーの惣菜工場の工場長として勤務することになりました。そこでの仕事は面白かったのですが、添加物をやたらと入れることがひっかかっていました。老化を防ぐために防腐剤を入れてみたり、きれいな色を出すために着色料を入れてみたりと、法律で許可されている範囲内の添加物をどんどん入れていくわけです。たまたま新商品を家に持ってきて、子供達に食べさせようとしたら、食べないんですね。うちの家内は、添加物を使わない食事を家で作っていて、みんなそれを食べていたので、添加物がたくさん入った惣菜は受け付けなかったんです。一生の仕事として、子供達が受け付けないような食品を作っていくのは、いやだと思いました。 ―――添加物を使わない、子供が喜んで食べる食品がパンだったのですね。 松島 もともと、家内と二人三脚で、独立したいという思いがありました。じゃあ何で独立したらいいのかということになったときに、家内がパンとお菓子を作ることが趣味だったこともあって、「ベーカリーだったら自分も手伝いたい」と言ってくれたんです。それじゃあ、私もゼロからパン作りを勉強してスタートしようということになりました。そう決意してから半年後にはもうベーカリーをオープンしていました。東急・田園都市線の鷺沼駅から徒歩10分の場所に1987年1月8日にオープンしました。売り場5坪、厨房12坪の小さな店でした。 ―――実際にオープンしてみて、手応えはどうでしたか? 松島 当時はパンは作れば売れる時代でした。改良剤などの添加物もたくさん使っていた時代です。しかし、うちの場合はBBJもイーストフードも抜いて何とか作ろうと、試行錯誤を繰り返していました。売れ行きは好調で、最初から1日18万円ぐらい売れて、寝る暇もないくらい忙しかったですね。冷凍生地がない時代で、すべてスクラッチでやっていたので大変でした。生地玉冷蔵なんかをやろうと思うと、改良剤を入れなくてはならないので、出来ませんでした。最初の3〜4年は、午前中に焼いて、午後も少し焼いて、午後6時ぐらいに売り切れてよかったね、という感じで運営していました。 ―――当時は今みたいに焼きたてをこまめに出すというオペレーションではなかったのですね。 松島 そうですね。でも、出来る限りお客様にフレッシュな商品を届けたいという気持ちは当時から強かったので、仕込んだ生地の一部を冷蔵庫にチルドの状態でキープしておいて、時間をずらして焼くようにはしていました。チルド状態にしておいて、その日に使い切るのであれば、添加物を入れなくても大丈夫でしたから。そのうちにドウコンなんかも出来てきて、より自然な形で冷やしたり、冷凍できるようになってきました。イーストの品質もよくなってきて、何度まで生地温度を下げたらイーストが死なずに発酵を停止するかというようなことも、わかってきました。少しずつ焼きたてを追求する現在のオペレーションに近づいていったんですね。オープン5年目ぐらいからは「夕焼けパン」というキャッチフレーズで夕方の焼きたてパンをアピールしていました。 |


| ルヴァン・リキッドとの出合いも大きかった | |
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―――焼きたてを提供することと、フィリングを自家製にすることは、口で言うのは簡単ですが、毎日のことですので、実現していくのは大変なことですよね。
松島 私たち夫婦の理念を社員にわかってもらうために、社内塾や、外部の技術検定制度などを利用して教育していますので、社員の方から「こうしたらいい」「ああしたらいい」といいう声が上がって、社員が自発的にやってくれるという感じですね。なぜか、私たち夫婦がやりたいと思っていることを、社員の方からやりましょうと言って来るんです。「じゃあやろう」ということになって、少しずつ、焼きたてがでる頻度が多くなり、自家製のフィリングやトッピングが増えていったという感じです。そうやって、続けてやっていると、お客様も「もあ」のカレーはこんな味だと分かってもらえるようになって、お客様の「行きつけの店」のひとつになれるんですね。やはり、「もあ」にしかない商品をどれだけ作れるかだと思いますね。「もあ」にしかない商品は、「主力5品」という形で具現化されています。その5アイテムだけは、ロスを出してもいいから、開店時から閉店時まで絶対に切らさないという方針を貫いています。 ―――そのほかに、大きな転機となったことはありましたか。 松島 ルヴァン・リキッドを見つけたことでしょうね。2号店をオープンして2年ほど経過した、今から約15年前のことでした。ある業界新聞の小さな記事に、エリック・カイザー氏がフランスでフェルメントという機械を開発して、ヨーグルトのような状態のルヴァン・リキッドを作り、パンを製造していることが紹介されていました。「これさえ使えば、添加物を使わずにいいパンが作れる」とピンと来ましたね。そして、すぐにフランスに見に行きました。それまでは、添加物を使わなくてもいいパンが出来るようにと、自分でぶどうから種を起こして、同じようなルヴァン種を作って管理していたので、結構大変だったんです。しかも、大量には作れないので、限られた商品にしか使えませんでした。 ―――ルヴァン・リキッドを使うと添加物を入れなくても大丈夫なのですか? 松島 生地の伸展性がよくなるので、作業性が向上します。だから、添加物を入れなくても形のいいきれいなパンが出来るんですよ。ルヴァン・リキッドはそれ以外にも、パンの老化が遅くなったり、老麺を入れるのと同じなので、香りがよくなったりと、いろいろな恩恵をもたらしてくれましたね。 |

| 事業継承について思い悩む日々
―――社員教育はどのようにやっているのですか?
松島 まず、外部講師を呼んで「未来塾」という勉強会をやっています。1週間に1回で半年で終了するコースです。6人が参加します。半年経って終了すると、別の6人でまた同じようにスタートします。もう12期生ぐらいまで来ていますね。これは仕事には直接関係ない部分での自己啓発の勉強会です。自分達のモチベーションを上げるためのもので、常に前向きにものごとを考えられるようにすることが目的のひとつです。 もうひとつは、ベッカーマイスター協会に入っていて、そこでやっている技術検定試験を利用しています。製パン技術を向上させるための勉強会です。A、B、Cの3クラスに分かれていて、受験するためには、それぞれ所定の実務経験が必要になってきます。社員にこの検定を受けさせるには、それなりの経費がかかるのですが、「クラスCが受かったら今度は、クラスBを目指す」というように社員の目標になり、励みにもなります。あとは「君はクラスBの資格を持っているのだから、ここまではできるはずだ」というように、厨房で任せる仕事を決めるときにも役に立ちます。 ―――最近は、ご自分が引退したあとの体制作りに尽力していると聞きました。 松島 息子がいっしょに働いていたのですが、3年前に、「どうしても継ぐことは出来ない。違う道で頑張りたい」と言ってきました。私としても、息子ひとりがすべてを背負うのは、少し無理があるのかなと思っていました。そういう状況で、事業継承するにはどうしたらいいのかと考えたときに、社員にやらせるというのがひとつの選択肢でした。しかし、会社の資産も億単位になるので、それを社員に持たせるとなると、相当な借金を背負わせることになります。その前に、銀行がそんなお金を若い社員に貸してくれるはずもありません。私が社員に安く譲渡したとしても、今度は贈与税の問題が発生してきます。 そんなこんなで、コンサルタントの先生にも相談したりして、どこかの会社にうちの会社を買ってもらうという選択肢も考えました。しかし、そうなると、これまで培ってきた「もあ」の企業文化を維持していってもらえるかが不安でしたし、従業員の雇用が守れるかどうかの保証もありません。 ―――結局どういう結論になったのですか? 松島 私が18年ほど前から親交を持ち、ジャパンベッカーマイスター協会を通して、社員教育などについてご指導いただいているポンパドウルの三藤社長に相談したところ、これまでの当社のシステムはそのまま維持し、問屋などの取引先や、商品の品揃えなどもまったく変えることなく、事業継承していただけるということになりました。もちろん従業員も全員そのままで、待遇面もまったく変わりません。本当にありがたい話だと感謝し、経営権を譲渡することにして、私は会長としてこれまで通り、「もあ」の陣頭指揮をとっていくことになりました。私に万が一のことがあっても、「パンメゾンもあ」は大丈夫ということになり、安堵しているところです。 パンメゾンもあ 横浜市青葉区あざみ野1-26-5、電話045-904-4494 |
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