自家製のフィリングと焼きたてにこだわる ‐ パンメゾンもあ四季彩館の松島昌彦会長に聞く - ブランスリー電子版

2026年10月21日に公表されたPHPの脆弱性(CVE-2026-109618、CVE-2026-109619)については、いずれも対策を完了しています。

ブランスリーアーカイブ(創刊号からの全記事)
記事の閲覧
<<戻る写真をクリックすると拡大写真が見られます。
インタビュー/2012年2月号

2023年11月18日から、発行から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文が公開される仕様になりました。


自家製のフィリングと焼きたてにこだわる ‐ パンメゾンもあ四季彩館の松島昌彦会長に聞く
 神奈川県内に複数のベーカリーを展開する「パンメゾンもあ」の松島昌彦会長は、冷凍食品や惣菜工場の工場長を長く務め、40歳を過ぎて、ベーカリーを開業。現在は3店舗を擁し、年商6億円の規模にまで成長したが、スタート時は、売り場5坪の小さなベーカリーだった。2号店を出すまでの10年間の試行錯誤が、2号店で一気に花開き、現在の繁盛の仕組みの基礎となったという。夫婦の理想が、いつの間にか社員の理想になり、その結果として繁盛の仕組みが出来上がった。松島会長は「私たち夫婦がやりたいと思っていることを、社員の方からやりましょうと言って来るんですよね」と目を細める。



フレッシュなパンを提供したかった

―――まず、ベーカリー開業に至った経緯を聞かせてください。

松島 大学を出て、外資系のネスレという会社に飛び込みました。そこで販売企画をやり、次第に食品を作ることに興味を持つようになりました。1973年に結婚して、家内の大阪の実家が冷凍食品の工場をやっていたので、私がそれを手伝うことになりました。そこでは12年間働かせてもらい、食品製造のノウハウを得ることができました。1985年には、夫婦で東京に出てきました。そして、当時東京・多摩地区に展開していた中堅スーパーの惣菜工場の工場長として勤務することになりました。そこでの仕事は面白かったのですが、添加物をやたらと入れることがひっかかっていました。老化を防ぐために防腐剤を入れてみたり、きれいな色を出すために着色料を入れてみたりと、法律で許可されている範囲内の添加物をどんどん入れていくわけです。たまたま新商品を家に持ってきて、子供達に食べさせようとしたら、食べないんですね。うちの家内は、添加物を使わない食事を家で作っていて、みんなそれを食べていたので、添加物がたくさん入った惣菜は受け付けなかったんです。一生の仕事として、子供達が受け付けないような食品を作っていくのは、いやだと思いました。

―――添加物を使わない、子供が喜んで食べる食品がパンだったのですね。

松島 もともと、家内と二人三脚で、独立したいという思いがありました。じゃあ何で独立したらいいのかということになったときに、家内がパンとお菓子を作ることが趣味だったこともあって、「ベーカリーだったら自分も手伝いたい」と言ってくれたんです。それじゃあ、私もゼロからパン作りを勉強してスタートしようということになりました。そう決意してから半年後にはもうベーカリーをオープンしていました。東急・田園都市線の鷺沼駅から徒歩10分の場所に1987年1月8日にオープンしました。売り場5坪、厨房12坪の小さな店でした。

―――実際にオープンしてみて、手応えはどうでしたか?

松島 当時はパンは作れば売れる時代でした。改良剤などの添加物もたくさん使っていた時代です。しかし、うちの場合はBBJもイーストフードも抜いて何とか作ろうと、試行錯誤を繰り返していました。売れ行きは好調で、最初から1日18万円ぐらい売れて、寝る暇もないくらい忙しかったですね。冷凍生地がない時代で、すべてスクラッチでやっていたので大変でした。生地玉冷蔵なんかをやろうと思うと、改良剤を入れなくてはならないので、出来ませんでした。最初の3〜4年は、午前中に焼いて、午後も少し焼いて、午後6時ぐらいに売り切れてよかったね、という感じで運営していました。

―――当時は今みたいに焼きたてをこまめに出すというオペレーションではなかったのですね。

松島 そうですね。でも、出来る限りお客様にフレッシュな商品を届けたいという気持ちは当時から強かったので、仕込んだ生地の一部を冷蔵庫にチルドの状態でキープしておいて、時間をずらして焼くようにはしていました。チルド状態にしておいて、その日に使い切るのであれば、添加物を入れなくても大丈夫でしたから。そのうちにドウコンなんかも出来てきて、より自然な形で冷やしたり、冷凍できるようになってきました。イーストの品質もよくなってきて、何度まで生地温度を下げたらイーストが死なずに発酵を停止するかというようなことも、わかってきました。少しずつ焼きたてを追求する現在のオペレーションに近づいていったんですね。オープン5年目ぐらいからは「夕焼けパン」というキャッチフレーズで夕方の焼きたてパンをアピールしていました。



オープンキッチン導入が大きな転機になった
「パンメゾンもあ」の大きな転機になったというオープンキッチン。惣菜パンなどを客の見ている前で調理し、提供する
「パンメゾンもあ」の主力店のひとつ「もあ四季彩館」は、東急田園都市線・あざみ野駅から徒歩約10分の大きな通り沿いの場所にある
自家製のカレーフィリングを包んだ「カレーパン」(147円)は、不動の人気商品
楽しさを演出するためにパンの陳列方法にも様々な工夫を凝らしている
―――2号店を出したのはいつですか?

松島 1号店を出してから10年経ったときでした。1号店は小さな店で、いつもお客さんを外に待たせてしまっていた状態だったので、お客さんに迷惑をかけないように大きな店を作りたいというのが、当時の私たちの夢だったんですね。

―――1号店で培ったノウハウが2号店で花開いたのでしょうね。

松島 やはり一番画期的だったのはオープンキッチンを作ったことですね。よりフレッシュなものを作って演出するための大きな武器になりました。当時のパン屋はホットドックや惣菜パンなんかは、サンドイッチといっしょに冷蔵ショーケースに入れて販売するのが常識だったのですが、サンドイッチならまだしも、ホットドッグはやはり温かい状態で食べてもらいたいということで始めたのがオープンキッチンでした。

―――お客さんの反応はどうでしたか?

松島 よく売れましたが、売れる時間帯が限られていました。ドック類とかバーガー類などのいわゆる惣菜パンは、昼時にしか売れなかったんです。だから、午前10時ぐらいから作り始め、お昼時に一気に販売するというオペレーションで、2時ぐらいになるともう静かになってしまうという感じでした。そこで、オープンキッチンの売上のピークをもうひとつ作ろうと、色々考えました。そんなときに、「この地域の人たちは子供さんが塾に行くので、昼だけではなく、夕方も作ってみたらどうですか」と、ひとりの社員が言ったんです。実際にやってみたら、それが受けたんですね。昼時と同じような山がもうひとつ出来ました。子供さんが塾に行く前に、何か食べさせるのにちょうどよかったんですね。もともと潜在ニーズとしてあったものを、探し当てた感じでした。オープンキッチンのコッペを目当てに夕方にもお客様が来るようになると、当然ほかのパンにも手を伸ばしてくれますから、オープンキッチンが呼び水になって、店全体として大きな山が午後4〜5時頃にもうひとつ出来たんです。

―――今は山はいくつありますか。

松島 特に日曜日や休日は、朝からオープンキッチンのコッペを求めて行列が出来るようになりました。ですから、朝、お昼、夕方と3つの山があります。というか1日中山が続いているという感じですね。そうなると、1日を通してきちんとオペレーションするには、パートさんのリレーでは出来ないので、オープンキッチンの責任者として社員をひとり配置するようになりました。現在当社が展開する3店舗のすべてにオープンキッチンがあります。今考えると、オープンキッチンが出来る前に、少しずつ育っていた、少量多頻度焼成のオペレーションが、オープンキッチンができたことによって、さらに進化し、発展していったということが出来ると思いますね。オープンキッチンの少量多頻度生産が軌道にのってくるのと同時に、店全体としても、お客様の来店具合に合わせて、「追っかけ」でどんどんパンを作っていくというオペレーションが強固なものになっていったということです。ちょうどその頃、「焼きたて、揚げたて、作りたて」の「3たて」などと言われるようになってきて、世の中の流れと合致した感じもします。

―――オープンキッチンを導入したことが、大きな転機になったということですね。

松島 オープンキッチンで、「焼きたて、揚げたて、作りたて」と同様に大事だったのは、手作り感を出すということでした。自分のところでカレーの具やカスタードを炊くようにするなど、フィリングとトッピングの自家製化を少しずつ進めていきました。せっかく焼きたてを追求しているのですから、フィリングやトッピングが出来たてでなかったら、もともこもないですからね。コストの問題を指摘する人もいますが、確かに人件費は高くなりますが、材料費は下がりますからコストとしたら同じだと思いますよ。メーカーさんのフィリングには、材料費と手間賃のほかに、ユーザーの店まで持ってくる輸送経費なんかも入っているわけですから、そう考えるとフィリングメーカーが作るより、自分で作った方が、いい原材料を使えるということになるんです。



ルヴァン・リキッドとの出合いも大きかった
パンメゾンもあの看板商品「ラウンド」(1本336円、ハーフ168円)
主力5アイテムのひとつの「ジャンボメンチカツバーガー」(294円)
―――焼きたてを提供することと、フィリングを自家製にすることは、口で言うのは簡単ですが、毎日のことですので、実現していくのは大変なことですよね。

松島 私たち夫婦の理念を社員にわかってもらうために、社内塾や、外部の技術検定制度などを利用して教育していますので、社員の方から「こうしたらいい」「ああしたらいい」といいう声が上がって、社員が自発的にやってくれるという感じですね。なぜか、私たち夫婦がやりたいと思っていることを、社員の方からやりましょうと言って来るんです。「じゃあやろう」ということになって、少しずつ、焼きたてがでる頻度が多くなり、自家製のフィリングやトッピングが増えていったという感じです。そうやって、続けてやっていると、お客様も「もあ」のカレーはこんな味だと分かってもらえるようになって、お客様の「行きつけの店」のひとつになれるんですね。やはり、「もあ」にしかない商品をどれだけ作れるかだと思いますね。「もあ」にしかない商品は、「主力5品」という形で具現化されています。その5アイテムだけは、ロスを出してもいいから、開店時から閉店時まで絶対に切らさないという方針を貫いています。

―――そのほかに、大きな転機となったことはありましたか。

松島 ルヴァン・リキッドを見つけたことでしょうね。2号店をオープンして2年ほど経過した、今から約15年前のことでした。ある業界新聞の小さな記事に、エリック・カイザー氏がフランスでフェルメントという機械を開発して、ヨーグルトのような状態のルヴァン・リキッドを作り、パンを製造していることが紹介されていました。「これさえ使えば、添加物を使わずにいいパンが作れる」とピンと来ましたね。そして、すぐにフランスに見に行きました。それまでは、添加物を使わなくてもいいパンが出来るようにと、自分でぶどうから種を起こして、同じようなルヴァン種を作って管理していたので、結構大変だったんです。しかも、大量には作れないので、限られた商品にしか使えませんでした。

―――ルヴァン・リキッドを使うと添加物を入れなくても大丈夫なのですか?

松島 生地の伸展性がよくなるので、作業性が向上します。だから、添加物を入れなくても形のいいきれいなパンが出来るんですよ。ルヴァン・リキッドはそれ以外にも、パンの老化が遅くなったり、老麺を入れるのと同じなので、香りがよくなったりと、いろいろな恩恵をもたらしてくれましたね。



事業継承について思い悩む日々

―――社員教育はどのようにやっているのですか?

松島 まず、外部講師を呼んで「未来塾」という勉強会をやっています。1週間に1回で半年で終了するコースです。6人が参加します。半年経って終了すると、別の6人でまた同じようにスタートします。もう12期生ぐらいまで来ていますね。これは仕事には直接関係ない部分での自己啓発の勉強会です。自分達のモチベーションを上げるためのもので、常に前向きにものごとを考えられるようにすることが目的のひとつです。
 もうひとつは、ベッカーマイスター協会に入っていて、そこでやっている技術検定試験を利用しています。製パン技術を向上させるための勉強会です。A、B、Cの3クラスに分かれていて、受験するためには、それぞれ所定の実務経験が必要になってきます。社員にこの検定を受けさせるには、それなりの経費がかかるのですが、「クラスCが受かったら今度は、クラスBを目指す」というように社員の目標になり、励みにもなります。あとは「君はクラスBの資格を持っているのだから、ここまではできるはずだ」というように、厨房で任せる仕事を決めるときにも役に立ちます。

―――最近は、ご自分が引退したあとの体制作りに尽力していると聞きました。

松島 息子がいっしょに働いていたのですが、3年前に、「どうしても継ぐことは出来ない。違う道で頑張りたい」と言ってきました。私としても、息子ひとりがすべてを背負うのは、少し無理があるのかなと思っていました。そういう状況で、事業継承するにはどうしたらいいのかと考えたときに、社員にやらせるというのがひとつの選択肢でした。しかし、会社の資産も億単位になるので、それを社員に持たせるとなると、相当な借金を背負わせることになります。その前に、銀行がそんなお金を若い社員に貸してくれるはずもありません。私が社員に安く譲渡したとしても、今度は贈与税の問題が発生してきます。
 そんなこんなで、コンサルタントの先生にも相談したりして、どこかの会社にうちの会社を買ってもらうという選択肢も考えました。しかし、そうなると、これまで培ってきた「もあ」の企業文化を維持していってもらえるかが不安でしたし、従業員の雇用が守れるかどうかの保証もありません。

―――結局どういう結論になったのですか?

松島 私が18年ほど前から親交を持ち、ジャパンベッカーマイスター協会を通して、社員教育などについてご指導いただいているポンパドウルの三藤社長に相談したところ、これまでの当社のシステムはそのまま維持し、問屋などの取引先や、商品の品揃えなどもまったく変えることなく、事業継承していただけるということになりました。もちろん従業員も全員そのままで、待遇面もまったく変わりません。本当にありがたい話だと感謝し、経営権を譲渡することにして、私は会長としてこれまで通り、「もあ」の陣頭指揮をとっていくことになりました。私に万が一のことがあっても、「パンメゾンもあ」は大丈夫ということになり、安堵しているところです。

パンメゾンもあ
横浜市青葉区あざみ野1-26-5、電話045-904-4494

原価計算女王
原価計算女王

2023年11月18日から、発行から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文が公開される仕様になりました。

今月の公開記事

  1. POLINの高性能オーブンを日本市場へ 。450℃の焼成力と緻密なヒーター制御 - スズキ産業の下河拓磨社長
  2. 見やすい売り場と旬の味で、地域が誇れるベーカリーへ - アリマベーカリー
  3. 「ちいかわ」の世界観を表現したパンと店づくり - ちいかわベーカリー
  4. 掲載から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文を公開しています。
    ブランスリーアーカイブ
ブラ立ち読み
(記事の無料メール配信)
詳細はこちら