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| レポート/2011年7月号 |
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| 「待ってくれている人のために頑張りたい」‐イナイ社長阿部信一さん | |
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宮城県石巻市で製パン業を営む阿部信一さんは、3月11日に発生した東日本大震災で被災した。
「市内にある工場と店舗は全壊しました。工場は津波に流されて、店舗は倒壊しました。7人の従業員は全員助かりましたが、働き場がなくなってしまったので、解雇するよりほかはない状況となりました」 工場では、神奈川県や静岡県、愛知県などの卸業者に向けて、ラスクや食パンを製造していた。市内にある店舗と合わせて、3億6000万円の年商があったという。 「ありがたいのは、待っていてくれる人がいるということです。発送先の方から『再開すればまた、買います』と言われているので、なんとか復興していきたいと思っています」 阿部さんは、現在、津波から逃れることができた自宅の2階部分で生活している。 「地震が起きて35日後に電気、50日後に水道が復旧しました。避難所から自宅に戻ったのは53日後です。工場は、津波でオーブンなど機械がめちゃくちゃになってしまったのは知っていましたが、片付けることがしばらくできなくて。ようやく片付けられるようになったのは、水道が復旧してからでした」 ラスクの焼成に使用していたオーブンは、ラック部分だけが残っていた。本体部分は海水に浸かってしまったため、修理もできないとメーカーに言われたという。 「県の製パン協同組合や、菓子工業組合をはじめ、他県の組合からも力になってくれると言ってくれています。それは心強いですが、オーブンが手に入らないことにはどうにもならないので、非常に困っています。このラスクの食感は、このオーブンでしか作ることができないとこだわりを持って使用していました。生活費も借りて生活している状況の中、オーブンを購入する余裕はありません」 工場のあった場所は80センチほど地盤沈下したため、満潮時には波が入ってくるという。再度工場を建て直して営業を再開することは難しいとされている。それでも、阿部さんはパン作りを再開することに前向きの姿勢を持っている。 「避難所で配給された食事は、大手製パンメーカーのおにぎりとパンでした。低価格でおいしいパンを提供できる、大手にはかなわないと、食べながら思い知りました。それと同時に、自分の路線を再確認したんです」 阿部さんは震災前に、昆布を使ったラスクの試作を重ねていた。昆布は北海道の知り合いの業者から依頼されてもらったものだ。再開したらまた取り掛かりたいという。 「私は今73歳です。自宅の荷物もほとんどが流されてしまった中、ブランスリーの本が残っていたんです。それを手にしたときに、パンをもう一度作って、みなさんを喜ばせていきたいと思いました」 |



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