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| 連載/2011年5月号 |
2023年11月18日から、発行から1年を経過した記事は、会員の方以外にも全文が公開される仕様になりました。
| 一粒の麦から[1]‐本行恵子 パン作りは自己実現の手段でもあった 本行 恵子(ほんぎょう けいこ) パンと食のライター。家庭製パン教室を10年間主宰した後、パン業界専門誌『B&C』の編集記者、編集長として勤務。16年間の在職中、日本各地のリテールベーカリーや欧米、アジア諸国を訪問し、パンと食文化を取材。現在はフリーの立場で、業界専門誌や企業ホームページの執筆活動、関連団体の支援、企画提案、アドバイジングを行っている。ライフワークは、パンのある食卓の提案。
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| 心に残るパン | |
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今まで食べたパンの中で、一番心に残っているのはどんなパンでしょう。
ある人は学校給食のコッペパン、部活の帰りに食べたカレーパン、あるいはパリで食べたバゲット、ミュンヘンのレストランで出たカイザーゼンメルなど・・・・。 生まれ育った時代やそれぞれが体験してきたことによって、パンにまつわる様々なシーンを思い浮かべることができます。そのパンは必ずしも世界一美味しいものではないかもしれませんが、自分にとっては忘れることのない素敵な思い出を心に残してくれます。 私の人生の中で思い出として残っているたくさんのパンの中から、もう二度と食べることができないものをご紹介しましょう。ひとつは世田谷の豪徳寺に住んでいた6歳の頃、自転車に木箱を乗せたおじさんが「中村屋のげんこつパンはいかがですか」といいながら売り歩いていた幻のげんこつパンです。母親にねだっておやつ代わりに食べたその味は、今考えるとフランスで食べたピストレに似た素朴でたいへん味わいのあるパンでした。小麦粉の焼けた香ばしい匂いがして、噛めば噛むほど口の中で味が広がります。新宿の中村屋本店から豪徳寺まで、自転車で売り歩いていたのでしょうか。それとも中村屋の看板を掲げる店が近くにあったのでしょうか。今でもそれは謎です。 そして次に登場するのは、朝食に登場した母親が焼いてくれた食パン。昭和40年頃の一般家庭の台所には、オーブンなどなかった時代です。母がおやつに作るマドレーヌやパンは、宣教師から教えられたレシピを再現したもの。テレビで放映されていたアメリカのホームドラマに登場するような母親の姿に、ちょっぴり憧れを抱いた頃でもありました。当時オーブンの代わりに使っていたのは、最近使いやすさが見直され、若い人達からも人気が出ている「無水鍋」。鍋を厚く熱して内部が200度C位になったら、発酵したパン生地をアルミ板にのせて焼成。表面がある程度焼けた頃を見計らって蓋を開け、パンの位置を変え、まんべんなくきつね色になるまで焼き込みます。火加減が難しく、ベテランの母でも時々焦がしていました。 その後台所のガスコンロに直接天火をのせる「ピースの天火」が登場。コンパクトサイズの赤い色をした天火は、昭和45年頃まで我が家で活躍していました。手元にある母が使っていた婦人の友社発行のハンドブック『家庭で焼くパン』にも、天火の使い方の説明が出ています。「ピースの天火」をネットで探してみると、親の代から孫にいたる今でも大切に使っている様子が紹介され、赤い「ピースの天火」にネットで再会することができました。 その後日本の台所も欧米化が進み、システムキッチンの普及によるビルトインスタイルのガスや電気オーブンへと変化していきました。1976年に母が亡くなり、パンやお菓子を焼く役目は、料理が好きな私が引き継ぐようになりました。 |

| 家庭製パンの盛隆 | |
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1974年から始まった日本製粉主催の「ふっくらパンコンテスト」は、パンを焼くアマチュアを対象にしたコンクールです。入賞者は「ふっくらパン教室」の指導者の資格が与えられ、クッキングアドバイザーとして日本製粉が開催する講習会の助手や、家庭や地元のガス会社の会場を借りパン教室を開くことができます。40年近く経った今でも資格を持つライセンシーが活躍しています。当時子育てを終えた主婦たちの間でパン作りがブームとなり「おおちけいこパン教室」、「ホームメード協会」、「ジャパンホームベーキングスクール」、「ベターホーム協会」、「島津睦子ベーキングスクール」などいくつもの教室が人気を集めていました。初級コースから師範コースまで終了した人は、家庭製パン教室を主宰したり、組織の幹部として活躍します。今の時代のように女性がバリバリ働いて収入を得るというより、家庭を守る主婦たちにも社会参加と自己表現の場が得られるという魅力が、が、家庭製パン教室を広めていったのだと思います。
その頃母親から受け継いだレシピでせっせとパンを焼いていた私は、1984年の「第10回ふっくらパンコンテスト」に参加しました。一次予選は、実物のパンを審査委員の先生方に評価していただくというもの。緊張感の漂う会場でドキドキしながら順番を待ち、当日の朝早くに焼いたバターロールを提出。今から考えると形はきれいに仕上がっていましたが、膨らみも悪くガムのような引きの強いパンでした。しかし審査員の先生は丁寧に生地の仕込み方、発酵時間、焼成などについて細かくアドバイスしてくださり、最後に「家庭でパンを焼くことができる幸せを大切に」という言葉をいただきました。恵まれた幸せな環境があればこそ、パンを焼くゆとりがあるのです。その言葉は今でも心に残り、パンを焼く時に思い出しています。そして運良く一次予選を通過し、全国大会に出場することになりました。 (つづく) |


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