第2章 ありのままのパン人生 - 文・橋本泰之 - ブランスリー電子版

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(続)パン屋さん手帖(7)/2003年11月号

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第2章 ありのままのパン人生 - 文・橋本泰之
 今回から6回にわたり、私がこれまで職人として歩んできたなかでの様々なエピソードについてお話ししたいと思います。それが、少しでも皆様の参考になれば、との願いをこめて・・・。

橋本泰之 1956年横浜生まれ。新宿の専門学校を卒業後、銀座レストランみかわやに就職。その後センチュリーフーズ、モンタボーなどを経て、1996〜2001年、東京製菓学校教師。2001年10月、有限会社レーヴを設立、現在に至る。



出会い、やる気、段取り、導線、無言のアピール

 人生を変える出会い
 私は高校卒業後、新宿の専門学校に入りました。調理師の養成学校で、1年間通いました。
 新宿を選んだのは、一番の繁華街だったことと、「仕事をするなら東京で」と決めていたからです。このような動機でしたから、あまり良い学生ではなかったと思います。
 しかし、人は一生の間に、自分の人生を変えるだけの影響力のある何人かの人とめぐり合うものです。
私は一人目が辻のクッキングスクールの校長をしていた人でした。
 専門学校在学中にクッキングスクールでアルバイトをしていたのです。

 生きた人を対象にした仕事
 このアルバイトが多分、のちに東京製菓学校で教師として働いた時に活きてきたのだと思います。専門学校はさぼってもクッキングのアルバイトはしていました。
 一つにはアルバイト代が入ることがありました。でも本当の理由はほかにありました。
 生徒のOLたちの授業を行う用意をすることが、専門学校の授業よりも実践的な気がして、楽しくてしょうがなかったのです。
 なぜ面白かったのか? それは多分生きた人を対象にした仕事なので、結果がすぐに見えたからだと思います。
 助手のバイトなので、ご飯を炊いたり生徒の作業の用意をしたり、先生の仕事がスムーズに進むように前準備をしたりする単純な仕事でしたが、これが後になって活きてきました。職人の仕事をする上での段取りや導線などについて実践で学ぶことができました。
 アルバイトでも一生懸命することが大切です。精一杯頑張ると納得が出来るし、楽しくなります。この時に「アルバイトだから」と思っていたら同じような結果は残せなかったと思います。
 専門学校は必要な単位を取るのが精一杯ですれすれで卒業しましたが、アルバイトは3月末までみっちりと行うことが出来ました。卒業後の仕事も紹介していただき私の職人としての道筋を作ってもらいました。

 ケーキ工場に住み込み
 専門学校を卒業して、三好興産株式会社に入社しました。グループ会社が色々あって、食べ物屋からパブ、ケーキ工場まで幅広くやっている会社でした。
 レストラン勤務の場合は、1年間ホールのボーイが義務づけられていました。ホールをしたくなかったので生意気にもしたくないと言ってしまったら、ケーキ工場に住み込みで入れられました。
 まだまだ遊びたい年頃でしたので、仕事以外の時間は、飲んだり麻雀をしたりと、仕事漬けの日々とはほど遠かったと思います。
 今の若い人たちを見ていると、本当に仕事漬けの子も多く、すごいと思います。その反面個性が弱いという感じもしています。

 第2の出会い、エクレアとシュー
 そのケーキ工場で、第2の出会いがありました。職場のある先輩です。
 工場なのでお昼に1時間の休憩があります。その時間に自分だけ、その先輩からエクレアとシューの練習をさせられました。
 毎日やらされるので嫌々やっていて、ほとんど上達しなかった記憶があります。
 半年後レストランに空きが出来たので移動になり、ケーキ工場には短い期間しかいませんでしたが、何年かして振り返ると、この半年間で職人としての色々な事を教えていただいたと思います。
 昼休みに嫌々ながら教わる私につきあってくれたその先輩も休憩を取っていなかったわけです。
 また、仕事始めに1日のスケジュールを紙に書いてゆっくりと説明してくれました。このおかげで、仕事が他の人たちより早くスムーズに終わりました。
 今の私の仕事の原点は、多分この辺から培ったのだと思います。
 何年かしてから会いに行ったとき、色々いわれました。今は佐久でケーキ店を経営していて、私の癒しの店舗です。また、今の専門学校の学生に自信を持って勧められる店舗です。
 年に1回は顔を出して、ただコーヒーを飲んで帰るだけなのですがそれがとても楽しみです。多分私の理想の先輩像なのだと思います。
 移動になったレストランは、私の望んでいる環境とあまりにも違っていたので一年間勤めたのですが、辞めました。

 競争心が強かった時期
 その後、銀座4丁目のレストランで修行をします。多分この頃から仕事にどんどんのめり込んでいったと思います。
 21歳になっていて、新入社員よりも歳をとっていたので、絶対に負けたくないという競争心が強かった時期だと思います。生意気でしたが、仕事は多分一所懸命にしていたと思います。
 初めは洗い場だけが仕事場で、2階の調理場にはお皿を持って行く以外は上がれませんでした。
チーフに認めてもらえないと上にはあがれません。

 トイレ掃除、まかない・・・
 この頃、色々考えて仕事をしていました。皆さんも参考にしてもらえればと思います。
 (1)朝は、みんなよりも30分早く出社して、トイレの掃除を毎日していました(2階に上がるまで続けました)。
 後でチーフに言われたのですが、このことは、1週間ぐらい経った時点で、分かっていたみたいです。
 (2)1年間毎日違うまかないを作りました。
皿洗いと平行して、従業員のまかないを作るのも下の仕事だったので、私が任された日は絶対同じ食事は作りませんでした。田村魚菜の分厚い本を参考に春巻きの皮まで作っていました。これが一番のアピールになったようです。
 (3)食事の後には必ず大きな声で「ごちそうさま」といいました。
 そして、みんなは、食べたあとのお皿をそのまま流しに置いていくのですが、私は一番に食べ終わり自分の皿は必ず洗っていました。
 (4)掃除、挨拶は徹底的に行いました。

 ハングリー精神、残した料理
 パン屋さんと違って先輩は本当に仕事を教えてくれません。
 誰かが辞めないと自分に仕事が回ってきませんから、誰かが辞めた時がチャンスでした。
 今は先輩が色々教えてくれることが多いと思います。そこにハングリー精神が入ってくるともっと仕事が覚えられるようになると思います。
 多分今のパン屋さんの従業員の方には分からないと思いますが、お客様が料理を残すとみんなで取り合いをしていました。そういう機会に、料理自体もソースもどんな味なのか少しでも自分の舌で覚えないといけなかったのです。そんなことをしながら吸収したことが今の自分の原点になっていると思います。
 このころ1日何本も吸っていたたばこを止めました。たばこは味覚を大きく変えます。辞めてからソースの味が少し分かるようになってきました。
 今回はこの辺で終わりにしようと思います。
 今回の内容は『人との出会いを大切に』『段取り、そして仕事の導線の必要性』『自分の感情(やる気)をどう前向きに持って行くか』『無言のアピール』『自分自身を磨くこと』の5つのキーワードに集約されると思います。
 次回は、先輩とけんかして落ち込んだことや、いじめられて見返してやったことなどについて話していきたいと思います。





原価計算女王
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