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| (続)パン屋さん手帖/2004年9月号 |
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| 第2章 ありのままのパン人生 | |
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今回は東京製菓学校に就職するところから始めたいと思います。40才で現場を卒業しようと自分自身で決めていました。第2のパン人生は人を育てる仕事をしたい、もしくは開発の仕事をしたいと思ってモンタボーをやめる事にしました。
パン屋さん手帖(17) 橋本泰之(ベーカリーコンサルタント) 1956年横浜生まれ。新宿の専門学校を卒業後、銀座レストランみかわやに就職。その後センチュリーフーズ、モンタボーなどを経て、1996〜2001年、東京製菓学校教師。2001年10月、有限会社レーヴを設立、現在に至る。 |

| 会社を辞めて裸になった時が自分自身の本当の姿。
一度リセットしたいと思った。
会社を辞めて裸になった時に自分自身の本当の姿がわかります。会社にいると色々なメリットがあります。特にチェーン展開している大手では人や材料を大量に使います。 私は病気をした時に会社は自分を中心に回るのではなく、自分が会社の周りを回っているのに気が付きました。 私の場合も、モンタボーを辞めて一人の私になった時に、自分自身の真価が分かりました。 最後の2カ月間で有給を消化する形にしていただいたので、モンタボーで仕事をしなくなってから2カ月間は給料を頂いていました。 すこしゆっくりとしたかったこともあって、5カ月間休みを取りました。この休みの間に、それまで出来なかった事をしました。例えば、他の店舗で仕事をして、アドバイスをしたり、報告書を書いたりして、いまのコンサルタントの前身的な仕事もしていました。コンビニの3便配送の工場にも、週に3回くらい一カ月程度手伝いに行ってきました。このことは後にパスコ、am pmなどのプレゼンをする時に大変役立ちました。 その期間が自分自身のリセットの時期でした。親身になって次の仕事のお話を頂いた方もいました。逆に私と付き合うメリットがなくなった、と判断して離れていった人も大勢います。良い意味で自分自身の評価をする時期だったのかも知れません。(モンタボーを辞めた時よりも東京製菓学校を辞めた時の方が沢山のお話を頂きました。その時はありがたかったのですが、目的があったのでお断りしました) 5カ月間休んでいる間に、現場の仕事ではなく、メーカーの開発の仕事か、専門学校の教師をしたいという思いが大きくなっていきました。東京製菓学校を辞めた時もモンタボーを辞めた時も次の仕事については何も決めていませんでした。多分モンダボーに入る前だったら、そんな余裕はなかったと思います。どうにかなるという気持ちと、一度リセットしたいという気持ちが持てるだけの自信がモンタボーで培われたのだと思います。 一番やりたい仕事だった。 東京製菓学校は、タイミング良くちょうと次の年に新しい校舎を建てて東京パンアカデミーを設立するということでした。商品開発の仕事の話も3カ所から頂いていましたが、全て自宅から3時間以上かかる場所で、どうしようか悩んでいました。 東京製菓学校の職員の方からお話を頂いて宮田先生とお会いしたのが、東京製菓学校に勤めるきっかけになったと思います。本当にいい話ですぐにでも行きたかったのですが、一つ大きな問題がありました。前職よりも給料が少なくなるのでした。決して東京製菓学校の給料が安いわけではなく、他の先生方とのバランスの問題があったみたいです。 一カ月くらい悩みました。自分自身にとって一番やりたい仕事だったので、家族とも話し合いをしました。妻が「本当に行きたいならいいよ、私も働いているし、生活を切りつめれば大丈夫だよ」って言ってくれたので、東京製菓学校に就職する事にしました。 給料で悩んでいる人もいるかと思います。確かに給料を多くもらえる方が良いですよね。でも時には給料より、自分自身が何をやりたいのかを優先させることも大切だと思います。長い人生の中で、2〜3年はあっという間です。 東京製菓学校で教鞭をとったことは、私自身を成長させる大きな転機をもたらしました。 学校に入って一番感じたのは「ノルマがない」ということでした。 店舗ならすぐに結果が出ます。目標もあります。しかし学校は人を育てるところで、結果が出るのは何年も先です。何を目標にしなくてはいけないか、入校してから1〜2年は本当に悩みました。 しかし、自分自身の目標を見つけて実行するようになってからは、本当に毎日が楽しくて色々な事にチャレンジしていきました。目標はどんな場所でも作れます。目標を持つ事により、今日の私よりも明日の私を目標にして、毎日充実した日々を過ごせます。 学生を全員卒業させる 受け持った学生を全員卒業させるのは、簡単な事のようですがなかなか難しく、「20年教師をしていても1〜2度しかできない」とある人が言っていました。 私は、5年間在籍している間に2度「全員卒業」を達成しました。私が受け持った最後のクラスが「全員卒業」でした。本当に大変でしたが、「みんなで卒業しようよ」の私の意志が意外なほど学生に伝わって、とてもまとまりが良いクラスでした。全員卒業のクラスは、卒業後クラス会を開く頻度が高いようです。 簡単なエピソードを紹介します。東京製菓学校は、減点制で減点が200点になると卒業出来ません。毎年必ず減点が200点になってしまってやめていく学生がいます。私のクラスでも危ない学生が3人いました。2人はどうにかなったのですが1人は低血圧で朝起きられず、遅刻が多くて、石川県に住む母親にも何回か来てもらったくらいでした。 卒業まで1カ月もあるのに減点が195点になってしまい、普通ならあきらめてしまうところですが、色々と本人を交えて考えました。「誰かが一緒に泊まって起こさないと難しいよな」って愚痴を助手に言ったのですが、これが生徒に伝わったのかどうか、クラスの女子の有志でスケジュールを組み、卒業までの20日間彼女のアパートに泊まって、一緒に登校することになりました。 確かに朝が起きられなくては、パン屋にはなれませんが、学校は生徒の教育をするところです。何事もあきらめないことが大切だということを、身を持って体験できたと思います。確かに彼女は卒業後に就職した会社は退社しましたが、田舎に帰って結婚、そして男の子を産んで家の仕事を継いでいます。 クラス会の時は、明るい顔で子供を連れて東京に出てきます。これから先どんなつきあいになるか分かりませんが、大切な仲間です。多分途中であきらめていたら卒業出来なくて、クラス会にも出づらくなったと思います。 毎年盆暮れはクラス会 専門学校は専門分野を教えるところですが、その前に社会人としての教育をするところでもあります。 学校で出来なかったことを卒業後、フォローしています。確かに卒業生はかなり多いので全員は無理です。 対象は、私の気に入った人ではなく、相談に来る人や年賀状を交換している人、講習会に来てくれる人です。来る物は拒まず、そのかわりあまりこちらからは追っかけません。このバランスが多分良いのだと思います。 東京製菓学校に入ってからもう8年以上が過ぎているので毎年盆暮れはクラス会で大変です(結構好きなのですが)。 クラス会以外にも、月に1〜2回は、教え子と飲んでいます。私自身の勉強にもなりますし、パン業界のためにもなっていると思います。 先日卒業生を対象にした勉強会を始めました。学生と店舗との橋渡しになれば良いと思っています。今後も卒業後のフォローは行っていこうと思っています。 自分が卒業した学校の先生は、大切にしてほしいですね。私がパン業界で学んだ時は本やメーカーに行って教わりました。本を探すのも人と知り合うのも大変でした。人との出会いは大切です。卒業生は良いお手本である先生が学校にいます。何か悩んだら相談に行けるようないい関係を作ってください。 店舗の人も一緒です。人との出会いを大切にしてください。 先日、ある講習会の講師を務めました。その時に「私は初めは講習会を見に行っていました。次は見ているよりも生地を触りたくて講習会の助手をするようになりました。その後、私自身が講習会をしたくなりました」という話をしました。 すると「次に講習会をする時は助手としてお願いします」というメールが届きました。嬉しいものですね。 人に物を聞く時に、自分でも調べてから聞く癖をつけると身に付きますね。すばらしい人との出会いをしてください。 子供と真剣に向き合った日々 早いものであっという間に5年間が過ぎて東京製菓学校を辞める時が来ました。本当に良い経験をしました。 製パン理論をもう一度再確認できたし、メーカーの人と知り合うこともできました。それ以外にも色々なことを学び、人間の幅が広がりました。 東京製菓学校を辞めたのは、私の心のどこかに、自分で何かをやりたい、という意識があったこともありますが、家庭の事情がそれ以上に大きな要因でした。 中二の娘が思春期で反抗をして登校拒否、さらに家庭内で暴れたりしていました。 話すと長くなりますのでやめておきますが、夫婦二人で働いているので、昼間家には誰もいない状態になります。 子供が心配でした。家庭で話をしている時に、妻から人様の子供を教育するのは良いが自分の子供ともっと真剣に接しなさいよ、と言われて大きな衝撃を受けました。 「いま必要なのはお金ではなく家に親がいる事だ」ということで、どちらかが家に居ようという結論になりました。 どちらかが会社を辞めなくてはならなかったのですが、「女性は一度会社を辞めたらもう簡単には戻れない。私なら専門職に就いているし、いつかまた何かが出来れば良い」と考え、「辞めるなら私だ」と思いました。 「今何が一番大切か」を真剣に考えて、家庭に入る事にしました。三月の頭から休んで9月まで子供と一緒に生活をしました。毎日一緒にご飯を食べて話をしました。初めは大変でしたが夏には親子3人で韓国旅行にも行けるようになりました。今娘はサポート校に行きながらアルバイトをしています。大変な時をいっしょに過ごすと、逆に仲良くなるのではないかと思っています。いまだに自分勝手なところはありますが、私と一緒に食事や買い物にも行くようになりました。 今年初めて父の日にシャツをもらいました。それと誕生日には花を・・・。嬉しいものですね。 今から思うと学校を辞めて自宅で7カ月くらい一緒に過ごした日々がとても大切だったように思います。子供と一緒にいること、そして子供を信じることが大切ですね。 次回は、その後私が会社を設立し、コンサルタントとして現在に至るまでのことを書きたいと思います。 |


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